五輪サッカーで最も期待されなかったリオ世代 アジア予選も「弱者の戦い」に徹して突破した (2ページ目)

  • 浅田真樹●文 text by Asada Masaki

 また、手倉森監督も自分たちのチームのスタイルとして「耐えて勝つ」を掲げていたことは興味深い。

 日本は過去、世代を問わず、アジアで必ずしも勝ち続けてきたわけではないが、負ける場合の多くは、"弱者の戦い"に屈するケースが多かった。すなわち、ボールを保持して攻勢に試合を進めながら、守りを固めてカウンターを狙う相手に足をすくわれる、といった負け方である。

 裏を返せば、日本がアジアを勝ち抜くためには、そうした敗戦をいかに防ぐかがカギだったわけだが、このチームは違った。弱いなりにどうやって勝っていくかを考えなければいけないチームだったのである。

「ガマンして、しのいで勝てるのは自分たちのよさだが、これで五輪も勝てるとは思っていない。日本らしい崩しや攻撃サッカーを目指していかないと」

 リオ五輪出場が決まった直後、キャプテンだった遠藤航がそう話していたとおりだ。

 それを考えれば、リオ五輪に出場できたこと自体が上出来であり、本大会でのグループリーグ敗退はやむを得ない結果だった、と言えるのかもしれない。

 また、過去の五輪に出場したチームのなかで、このチームが特徴的だったのは、オーバーエイジ(OA)枠の人選である。このときのOAには、それまでとは(そして、それ以降とも)少しばかり趣の異なる選手が選ばれている。

 リオ五輪の登録メンバーにOAで選ばれたのは、興梠慎三、塩谷司、藤春廣輝の3人。その時点ですでにA代表選出(国際Aマッチ出場)の経験はあったが、A代表の主力と言えるような選手ではなかったのである。

 もちろん、いずれもJリーグで活躍していた選手であり、U-23世代に足りないポジションを補強するという意味では、決して的外れな人選ではなかった。しかし、彼らが本大会で23歳以下の選手たちの支えになるような活躍をした、とは言い難く、むしろ国際経験不足などを指摘されることが多かった。

 OAたるもの、A代表の主力を務め、五輪チームの柱となれる選手でなければならない――。そんな方向性を固めるきっかけになったのは、リオ五輪だっただろう。

 そもそも決して評価の高い世代だったわけではなく、グループリーグ敗退の責任を負わされる結果となった彼らは、不運だったと言えるのかもしれない。

 リオ世代からは、のちにワールドカップの登録メンバー入りする選手が数多く輩出されたわけではないが、それでも今や日本代表のキャプテンを務める遠藤や、長く主力として活躍している南野、一昨年のワールドカップで大仕事を成し遂げた浅野拓磨といった選手が出てきている。

それもまた、弱いなりにも世界と戦ってきた成果である。

◆リオデジャネイロ五輪代表メンバー ※OA=オーバーエイジ
【GK】櫛引政敏、中村航輔【DF】藤春廣輝(OA)、塩谷司(OA)、亀川諒史、室屋成、岩波拓也、植田直通【MF】大島僚太、遠藤航、原川力、矢島慎也、中島翔哉、南野拓実、井手口陽介【FW】興梠慎三(OA)、鈴木武蔵、浅野拓磨

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