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「変化は必要」女子W杯得点王の宮澤ひなた 紆余曲折を経てつかんだ栄光と世界への扉

  • 早草紀子●取材・構成 text&photo by Hayakusa Noriko

なでしこジャパン
宮澤ひなたインタビュー(前編)

 昨夏の女子ワールドカップでなでしこジャパンは準々決勝で敗れるも、5ゴールを挙げた宮澤ひなた(マンチェスター・ユナイテッド)は得点王を獲得した。それは、苦悩の時期を乗り越えてきたからこそ、立つことができた場所だ。

 高校時代、所属チームがタイトルを獲得したことはないが、チャンスメイクから得点まで幅広く攻撃に関わる彼女の存在は、関係者の目に留まるのに十分な輝きを放っていた。世代別の代表に名を連ねて奮闘を重ね、高校3年時にはなでしこジャパンのトレーニングキャンプに選ばれるほどの存在となった。

 だが、その先に待っていたのは思わぬ苦難だった。高校卒業後、日テレ・ベレーザ入り。初年度はそれまでの勢いのままゴールを量産したが、対策されるようになると、日本トップレベルのパスサッカーのなかで徐々に自らのプレーを見失っていく。

 そうした状況にあって、彼女は本来の自分を取り戻すための移籍を決断した。さらにその後、海外への挑戦も決めた。

 それぞれの岐路に立った時、宮澤は常に"変化"することを選んできた。どれほどの苦境に立たされようと、自らの可能性とまっすぐ向き合ってきた彼女の言葉からは、真摯な姿勢が貫かれた強さがあふれていた――。

昨年の女子ワールドカップで得点王に輝いた宮澤ひなた昨年の女子ワールドカップで得点王に輝いた宮澤ひなたこの記事に関連する写真を見る――名門、日テレ・ベレーザに入団してからは、トップレベルの力を吸収すると同時に、さまざまな苦悩も味わった印象があります。自らの武器であるスピードと、ベレーザ特有のパスサッカーの狭間で苦しんでいたり......。そこで、本来の姿を再確認するためにマイナビ仙台レディースに移籍。あらためて見えたものがありましたか。

宮澤ひなた(以下、宮澤)ベレーザでサイドをやっていた時は、自分の武器であるスピードを生かせる場所だと思っていました。実際、外から仕掛ける(自分の)プレーをイメージする人も多かったと思います。

 でも、仙台に移籍すると、チームを指揮する松田岳夫監督(現日テレ・ベレーザ監督)に「サイドにいたら、おまえのよさが消える」と言われて。その時、どこか自分でも納得する部分があったんです。

 そうして、(仙台では)トップ下や2トップのシャドーの位置に入ることが多くなり、常に中間ポジションを取りながら、360度見える位置でプレーする際に見た景色は(高校時代の)サイドをやる前に見ていたものでした。「あ~、こういう感じでプレーしてたな」って、徐々に(自分の)感覚が戻っていきました。

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