遅れてやってきた「大器」関根大輝が五輪代表で躍動! 日本代表右SBの有力候補に浮上 (2ページ目)

  • 浅田真樹●取材・文 text by Asada Masaki

 しかし、山本は関根へのパスを選択せず、その外に立つ山田楓喜へとパス。すると、「動きを止めないことを常に意識している」という関根は、「すぐにプランBじゃないですけど、どうやったら得点に近づけるかなって考えた時に、あのランニングが必要だなって感じました」。

 動きを止めることなく、そのままニアゾーンへと走り抜けた関根は、一度山田からのパスを受けると、すぐさまリターンパスを戻す。関根のランニングによって時間的にも空間的にも余裕が生まれた山田は、正確なクロスをゴール前に送ることができ、松木玖生のゴールが生まれたのである。

 好判断でゴールを"アシスト"した関根が振り返る。

「結果的に、あのランニングがあって、相手が自分についてきたことで(中国のDFラインが)押し下げられて、楓喜くんにも時間を作ることができた。今は常に考えてプレーができている状態ですし、自分のコンディションもすごくよくて、それに(体が)ついてきている状態なので、いい感じでプレーができています」

 とはいえ、そんな関根も、サイドバックとしてのキャリアはまだ3年程度。静岡学園高時代はセンターバックが本職で、サイドバックに転向したのは「大学1年生の時」だというから驚きだ。

「今は松本大学でコーチをしている青木(智也)さんが、(関根が大学1年当時の)拓殖のヘッドコーチで、僕をコンバートしてくれたんです」

 それまでにサイドバックの経験はなく、初めてコンバートを告げられた時は、「え~!?って思った」というが、程なく「結構攻撃にも行けるし、違和感なくプレーできた。すごく楽しいなと思いました」。

 大学入学当初は目標となり得なかったパリ五輪出場も、その後、大学選抜にも選ばれるなど、サイドバックとして頭角を現していったことで、「意識するようになりました」と関根。とりわけ大きな転機となったのは、昨年のアジア大会だったという。

「(1-2で敗れた決勝の)韓国戦が終わって、正直、全然レベルが違うなっていうのを感じてしまって......。日常から変えていかないと成長がないなって感じたので、大会から帰ってきたあとに(拓殖大の玉井朗)監督とお話しさせていただきました」

 1日も早く、より高いレベルでプレーしたかった関根と、教え子のキャリアップを最優先に考えた玉井監督。話し合いの結果、「本当に快く送り出してもらえて、1年前倒し(での柏入り)になりました」。

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