藤田譲瑠チマが語る、ベルギーでのプレーに活きている世代別代表とJリーグでの経験 (4ページ目)

  • 中田 徹●取材・文 text by Nakata Toru

── 幼少期にフィジカルの強い子は、その後に周りの子が成長すると抜かれることが多々ありますが、それをまた抜き返すのはあまり見たことがありません。

「そうですね。なんだろう......成長期が早かったわけじゃなくて......。素が強かっただけで、僕の成長期は遅いほうだったんです。たぶん、高2くらいから伸び始めたんじゃないかな。今、言われてみると、そう思います」

── U-17日本代表は森山佳郎監督でした。通称ゴリ・ジャパン。

「U-17ワールドカップ(2019年)直近の遠征で呼ばれました」

── 大抜擢でした。

「そうですね。自由にやらせてもらっていました。ハーフタイムに自分たちだけでいろいろ話し合ったあと、ゴリさんが話すこともありました。『こうしよう』『ああしよう』と話し合い、お互いに要求し合うチームでした」

── 代表初招集でも自分の意見を言えるキャラクターやパーソナリティを、森山監督は見ていたのではないですか?

「その時は乗っていたので。ヴェルディユースでセンターバック、サイドバック、そしてボランチに戻ってからいいプレーをしている自信もありました。

 自意識過剰かもしれませんが、代表でも自分がゲームを作っていた感じがしていました。いろんな人に指示を出して、その思いどおりになった時にはいいプレーができていた。『そういうプレーを増やしたい』という思いで、いろんな人に話していた記憶があります」

── ピッチ上でのコーチングは持って生まれたものですか? それとも、成功体験を繰り返していくうちに世界観を作ったのでしょうか。

「小学生(町田大蔵FC)の時にコーチが『話すことは誰でもできる』と言っていたので、僕のチームはみんなよくしゃべっていました。その延長だと思います」

── ベルギーの地元紙を読むと、「藤田はもう通訳抜きでインタビューができるようになった」と書いてありました。

「いや、必要ですよ。たまに言葉がわからなくなりますから」

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