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行政書士に一発合格 元なでしこジャパンの阪口夢穂の次なる夢は? 「運は使い果たしたと思っていたけど、まだ残っていたみたい」 (2ページ目)

  • 早草紀子●取材・文・写真 text&photo by Hayakusa Noriko

【なでしこジャパンの思い出】

 天職とも言えるボランチに目覚め、そのあとも多くの経験を積んだ阪口が、今振り返って思い出すのは......?

「ドイツ(2011年)・カナダW杯(2015年)! でもやっぱり優勝したドイツ大会かな。毎試合『よし!今日もバランス取るぞ!』って入ってた(笑)ホマレちゃんとっていうより、あや(宮間)とか、忍ちゃん(大野)と4人でバランス取っていました。戦いながら限界突破していく感じで、結束が固まっていくのがわかるってすごいこと。この前の男子W杯(カタール)を見て、なんかドイツ大会のこと思い出して、あのワクワクする感じ、懐かしかったんです。ずっとやるほうだったから、客観的に"あれ"を見たのは初めてやったな......」

 注目度がなかった分、思う存分楽しみだけで臨めたのがドイツ大会ならば、そこで世界一になったがために知名度が上がり、勝利が当たり前とされた次のカナダ大会までは経験したことのない苦しさだったという。

「カナダ大会は準優勝。そこまでの4年が地獄だったから、あの状況のなかでよく頑張ったと思います。監督の則さんもしんどかったはずです。決勝ではアメリカにガッツリやられましたけど(苦笑)。しかも私前半からCBやってたし。公式戦でGK、CB、ボランチ、FWをやって、これで中央部分だけは網羅しました(笑)」

 18歳で"なでしこジャパン"に招集されてからここまで、長い時間を代表として過ごしてきた。阪口にとって"なでしこジャパン"とは一体どんな存在だったのだろうか。

「最初は右も左もわからず、お姉さんたちに囲まれて怖いし、早く帰りたかったですよ。合宿に行ったら、あと何日で終わるか指折り数えてました(笑)。おこがましいこと言っていいなら、当たり前にすぐそばにあるもの、だったんです。気づいたら入ってて、いつの間にか中心でプレーさせてもらってて、ケガしても待ってくれて、今になってこういう感覚でよかったのかな?って思っています」

 なでしこジャパンを目指すものと、目指すべきなでしこジャパンを作ってきたものとの立ち位置の違いだろう。"当たり前のようにある場所"と言えるだけのものを彼女は作ってきたのだ。それを受け継いだ熊谷紗希や岩渕真奈が今、なでしこジャパンで奮闘している。

「託す想いとかそんなのは全然ない!語れないですよ、私が。ただただ頑張ってほしい、応援してる!ってことしかない。しんどいのは少なからずわかるだけに、それしかないですよ、ホント」

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