阪口夢穂が今だから明かす、2019年W杯直前のケガ「膝が壊れてもいいから試合に出ようと思っていた」 (3ページ目)

  • 早草紀子●取材・文・写真 text&photo by Hayakusa Noriko

【思い出すのはいいことばかり】

 結局大宮でのラストシーズンも、リハビリメニューが中心で試合に絡めたのはラスト4試合だけだった。1987生まれの同級生である有吉佐織、鮫島彩、上辻佑実らと阪口で形成するのが通称"87会"。若い選手の誰よりも賑やかで、ムードメーカー的存在だ。ベテランとして新規チーム作りに奮闘していたが、そのなかで阪口だけが同じ温度で苦悩できないこともまた耐えがたいことだった。

「どうしても一歩引く感じにはなってしまっていたと思うんです。だって実際にやってないから。自分が動けてたら、少なくともプレー面では貢献できたはずです。それすらもできなかった。ホントに最後のほうで試合に絡めるくらいまで回復してきて、そこからやっとしゃべれた選手もめっちゃいました。途中まではどこかでVENTUSの一員になりきれてなかった気がします」

結果的に現役最後となったINAC神戸戦で阪口夢穂らしいプレーを見せた @大宮アルディージャ結果的に現役最後となったINAC神戸戦で阪口夢穂らしいプレーを見せた @大宮アルディージャ 特に結果的に阪口の最後の試合となったINAC神戸レオネッサとの最終戦では、阪口の途中出場にスタジアムはざわめいた。そして、同じく大宮での時間の多くをリハビリに費やしてきた鳥海由佳への華麗なスルーパスをとおしてゴールさせた。これぞ阪口の真骨頂とも言える珠玉のパスだった。

「限られた時間ではあったけど、87のメンバーとも同じピッチでプレーできたし、最後のほうはすごく楽しかったですよ。自分が出ることで他との違いっていうか、空気を変えることはできたと思ってます。鳥さん(鳥海)のゴールなんて、5失点したあとの1ゴールなだけなのにスタジアムがまるで勝ったかのようにすごい沸いたよね。ああいうのはやっぱり楽しい!」

 なでしこジャパンとしては対外試合で勝つことすら難しい時代も知っている。世界と少し肩を並べた気がした北京オリンピック、一気に世界の頂点に駆け上がったドイツW杯、日本サッカー史上初の銀メダルを獲得したロンドンオリンピック、勝つことが当然と目されるなか、苦しみながら準優勝にまでこぎつけたカナダW杯、リオデジャネイロオリンピックの出場権を逃した予選----。そこから代表チーム作りの第一歩から携わり、世界で勝てない状況を再び味わった。国内でもLリーグからなでしこリーグ、そしてWEリーグへ、阪口は日本女子サッカーの古きよき時代から繁栄、衰退、進歩そのすべてを体感した数少ない選手だと言える。

「今は大宮の記憶が新しいからこうして出てくるけど、キツイことって上書きされていくもんでしょ。でも、リオデジャネイロオリンピックの出場権を逃したのは一番キツかった。あれは自分がど真ん中でプレーしていたし。長くサッカーをやってると、いいことばかりじゃなかったけど、いざサッカーから離れたら、不思議なことに思い出すのは"いいこと"なんですよ」

 紆余曲折な年月は、それだけ充実した日々だったということだろう。ひとつずつ回顧していく彼女の表情は穏やかで、彼女がたどり着いた"無"の温度をそこに見た気がした。

後編:元なでしこジャパンの阪口夢穂の次なる夢は?>>

profile
阪口夢穂(さかぐち みずほ)
1987年10月15日生まれ。大阪府堺市出身。
7歳からサッカーを始め、2003年に下部組織からスペランツァF.C.高槻に昇格。FC ヴィトーリア、TASAKIペルーレFCを経て、アメリカのリーグも経験。帰国後は、アルビレックス新潟Lを経て、日テレ・東京ヴェルディベレーザではもっとも長い9年間プレーし、最後は大宮アルディージャVENTUSで終えた。日本代表としては、W杯4回、五輪に2回出場している。2011年のドイツW杯で優勝を経験し、翌年のロンドン五輪では全試合に出場し、準優勝に貢献。2015年のカナダW杯でも準優勝という結果を残した。

3 / 3

関連記事

キーワード

このページのトップに戻る