元日本代表・名良橋晃が選んだ歴代日本人右サイドバックトップ10。「神出鬼没」「涼しい顔で上下動」「世界に見せたかった」選手たち (4ページ目)

  • 篠 幸彦●取材・文 text by Shino Yukihiko
  • photo by Getty Images

世界に見せたかった選手

2位 内田篤人(元鹿島アントラーズほか)

 篤人は、いい意味で憎たらしいほどイケメンですよね(笑)。線は細いけどスピードがあって、攻撃のセンスは抜群。淡々と仕事をこなしていくけど、すごく負けず嫌いで1対1の強さがありました。

 鹿島や海外に渡って多くの選手とプレーすることで、中盤での組み立てなどいろんなプレーを覚えて、なかでもワンタッチコントロールで前を向けるプレーは際立っていました。日本において現代的なSBの元祖かなと思います。

 彼を初めて見た時は「すごい選手が入ってきたな」という印象でした。高校3年生の時に鹿島に練習参加で来たんです。普通の高校生なら物怖じするものですけど、試合前のミニゲームでも淡々とプレーしていました。

 覚えているのが、篤人は相手チームだったので、僕は股抜きを狙ったんですね。プロの練習に初めて参加して、普通なら目の前のことに必死で股抜きなんか狙われたらあっさり通されてしまうものですけど、篤人にはうまく股を閉じられた。「これは肝がすわってるな」と思いましたね。もうここで何年もプレーしているかのように落ち着いていました。

 鹿島に入団が決まった時は、後輩というよりライバルでした。すぐに日本代表に呼ばれるのは当然で、W杯でも活躍して、世界にも遅かれ早かれ出ていく選手だとも感じました。

 僕が鹿島を出ていく時は2番をつけてほしいと思い、受け継いでくれたのは嬉しかったですね。

1位 山田暢久(元浦和レッズ)

 暢久はジーコジャパン時代に一緒になったこともありますけど、もっと欲があれば絶対に世界へ行けました。そのぐらい身体能力が高い選手で、強烈に印象に残っています。上背はないけどヘディングは強かったし、対人でも負けないスピードがあって、本当に攻守に隙がなかった。

 SBでしたけど、CBやボランチ、トップ下など、GK以外ならどんなポジションでもできるほど、真の意味でのユーティリティ性を持っていました。なんならGKもできたんじゃないかと思います(笑)。

 それだけに、繰り返しになりますけど欲があれば、どこへでも挑戦できた選手でした。ただ、そういうところも彼のプレースタイルなんでしょう。それが、クレバーだったり、淡々とプレーできるところにもつながっていたと思います。

 本当にやろうと思えば、90分通してハイレベルなプレーをできる選手だったので、僕からしたら羨ましいし、もったいないなといつも感じていました。世界に行けたというか、世界に見せたかった選手です。

名良橋晃 
ならはし・あきら/1971年11月26日生まれ。千葉県千葉市出身。千葉英和高校からフジタ(現湘南ベルマーレ)に入り、その後のベルマーレ平塚で右サイドバックとして活躍。1997年からは鹿島アントラーズで10シーズンプレー。2007年に湘南ベルマーレに復帰し2008年に引退した。J1通算310試合出場23得点。日本代表ではAマッチ38試合出場。日本が本大会に初出場した1998年フランスW杯でプレーした。引退後は育成年代の指導や、解説者を務めている。

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