鈴木彩艷「フィールドでは何もできなくなった」少年が世代屈指のGKへ。先輩・西川周作のことは「本当にすごい」とリスペクト (2ページ目)

  • 浅田真樹●取材・文 text by Asada Masaki
  • photo by Nikkan sports/AFLO

---- 小さいころから浦和の試合を生で見てきて、印象に残っている試合はありますか。

「中学2年生の時に、Jリーグチャンピオンシップファイナルのセカンドレグで、試合前にセンターサークルのバナーを持たせてもらったんです。試合前の雰囲気をピッチの上で感じられて、それは本当に鳥肌が立つような、すばらしいものでした。

 試合はスタンドから見ていて鹿島アントラーズに負けて(年間優勝を逃して)しまい、トップチームの選手ではなかったですけど、ジュニアユースに所属する浦和レッズの一員として、本当に悔しかったことも覚えています」

---- サッカーを始めたころからGKだったのですか。

「幼稚園の年中の時に兄の影響でサッカーを始めて、そのころはまだGKはやっていなかったですけど、小学校に入って親友と放課後サッカーをするとなった時は、もうずーっとGK。ボールを蹴ってもらって止める、ということをやっていました。

(浦和ジュニアに入る前の)少年団でも基本的にはGKだったんですけど、上の代のチームに入ってやる時はGKをやって、自分の代でやる時はフィールドもやる、みたいな感じでしたね」

---- それはGKにもフィールドプレーヤーを経験させよう、というコーチの方針だったのですか。

「いや、そういうわけじゃないと思います。たぶん、上の代だとフィールドでは通用しないってことだったんでしょうね(笑)」

---- フィールドをやるのも好きだったのですか。

「小学校低学年ぐらいの時は、どっちも楽しかったですね。でも、小さいころはボールを遠くに蹴れて、足が速ければ何とかなるところもありますけど、だんだんレベルが上がっていくにつれて、自分がこう......、フィールドでは何もできなくなったっていう感じです(笑)」

---- 浦和ジュニアの一期生として入った鈴木選手は、その後、クラブ初のジュニア出身のトップ選手になりました。

「ジュニアに入った時から、この浦和レッズでトップチームに上がること以外考えていなかったので、そこをクリアできてうれしいとともに、ここからだなという気持ちが強かったです」

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