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山本昌邦が振り返る20年前の長い夜。2002年日韓W杯の日本代表メンバーはこうして決まった (2ページ目)

  • 浅田真樹●取材・文 text by Asada Masaki
  • 佐野美樹●撮影 photo by Sano Miki

 自らの言葉で選考理由を説明しなかったトルシエ監督への批判もあったが、その是非はともかく、発表の模様がテレビで生中継されるなか、木之本が読み上げた23人のなかには、"サプライズ"とも言うべき意外な名前が含まれていた。

 いずれも直前のヨーロッパ遠征には参加していなかったベテランふたり、当時31歳の秋田豊と同34歳の中山雅史である。

 山本が振り返る。

「秋田と中山が選ばれたのは、ひと言で言えば、大会中にはいろいろなことが起きるからです。

 彼らのことは、実力も特長も人間性もわかっている。なので、チームが若手に切り替わっていくなかで、必ずしも常に呼ばれていたわけではありませんが、言い換えると、呼ぼうと思えばいつでも呼べる選手でした。

 2002年に入って、何度かヨーロッパ遠征をするなかで、やっぱり強豪相手に結構やられて(負けて)しまう。そうなった時に何が大変かというと、ピッチ外の環境作り。目に見えない雰囲気がすごく重要だったんです。

 日常の雰囲気が悪くなりそうな時でも、チームのために仕事をしてくれるのは誰なのか。それを考えたとき、彼らの力が必要だったということです」

 折しも日本が急激に力をつけ、世界に打って出ようとしていた時代である。

 ワールドユース選手権(現U-20ワールドカップ)には、1995年から2001年まで4大会連続で出場。1999年大会では準優勝という快挙を成し遂げていた。また、ワールドユースで自信を深めた選手を中心に臨んだ2000年シドニー五輪では、ベスト8進出を果たしてもいた。

 だが、ワールドカップはそれまでの年代別世界大会とは、規模も注目度も、まるで異なる大会である。山本が続ける。

「トルシエ監督は若手の才能に目をつけ、たくさんの若い選手を呼んでいましたが、彼らは経験がなく、チームの雰囲気に気を配る余裕もない。ましてワールドカップともなれば、どれほどのプレッシャーがかかるかもわからない。いろんな情報も入ってくるし、外圧がすごいですからね(苦笑)。

 当時のワールドカップメンバーの平均年齢は、だいたい25歳。20代前半の選手が半数近くを占めていましたから、経験があってチームのためにリーダー的な仕事をしてくれる選手を、トルシエ監督も求めていました」

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