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戸田和幸「W杯中も楽しいとか思ったことがない」。日韓W杯でエリートとそうでない選手との差も感じていた (2ページ目)

  • 佐藤 俊●取材・文 text by Sato Shun
  • 藤巻 剛●撮影 photo by Fujimaki Goh

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 2失点目のシーンをビデオ映像で見直してみると、オフサイドをアピールする選手はいるものの、2列目から飛び出してきた相手についていく選手はいなかった。やるべきことを怠れば、"世界"はいとも簡単にゴールを決めてくる。勝ち点1にとどまったことは、最終ラインの選手たちにとっては"いい薬"になった。

 続くロシア戦は、歴史に残る一戦となった。

 両チームの気迫と気持ちが衝突し、ヒリヒリとした緊張感が漂うなかで時間がすぎていった。そうした状況にあっても、チーム内に「勝つぞ」という思いが満ちていることを戸田は感じていた。

「それまでにW杯で開催国がグループリーグで敗退することはなかったですし、日本はW杯で勝利を挙げたことがないので、どうしても負けられなかった。やっぱり開催国が勝ち進んでいかないと、W杯自体が盛り上がらないですからね。『自分たちが初勝利を挙げるんだ』『歴史を作るんだ』という気持ちで、みんな一体となって戦っていました」

 膠着した状況のなか、後半5分、中田浩二のグラウンダーのパスを柳沢敦がダイレクトで左手前にいた稲本につなぎ、稲本がそのままゴールネットを揺らした。

 ボランチの稲本がそこまで上がっていることはなかなか考えられないが、パートナーを組む戸田との関係性があったからこそ生まれたゴールと言ってもいい。戸田の言葉を借りれば、「メインの選手である稲本の個性を生かすため、自分はうしろを請け負った」ということだ。稲本の魅力は前への推進力であり、攻撃力だが、戸田がその力を存分に引き出した。

 ロシア戦後、稲本もこう語っている。

「戸田さんがいるんで、自分は安心して前に行けた」

「稲本に、そう言ってもらえたのならよかったです。僕もそのつもりでプレーしていたので。稲本とはプレーしている時や食事の時に話をすることはありましたけど、(代表合宿中の)宿舎などでじっくり話すことはなかったですし、外で一緒に飯を食べに行くなんてこともなった。

 でも、それでいいんですよ。自分はプロサッカー選手として生き残るためにやってきているので、代表で友人を作りにきているわけじゃないですし、友人がいなくてもいいんです。いい仕事をして、自分も含めて(チームが)いい評価を受けて、レベルアップしたいと思っていた。そのためには、周囲の選手の特徴を理解して、それをいかに発揮させるかを常に考えていました」

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