戸田和幸「W杯中も楽しいとか思ったことがない」。日韓W杯でエリートとそうでない選手との差も感じていた

  • 佐藤 俊●取材・文 text by Sato Shun
  • 藤巻 剛●撮影 photo by Fujimaki Goh

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「運」をつかんだ男が躍動した熱狂の日韓W杯~戸田和幸(2)

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 2002年6月4日、日本の初戦となるベルギー戦が始まった。

 0-0で迎えた後半12分、ベルギーに先制を許したものの、その2分後に日本も同点に追いつく。小野伸二からのパスを鈴木隆行がつま先でゴールを決めた。さらに後半22分、稲本潤一の逆転ゴールで試合をひっくり返した。

 その直後、トルシエジャパンの代名詞でもある「フラット3」の中央を務めていた森岡隆三が負傷し、宮本恒靖と交代した。しばらくして、「フラット3」の前でボランチを務める戸田和幸は、最終ラインの動きに違いを感じた。

トルシエ監督の代名詞「フラット3」について語る戸田和幸氏トルシエ監督の代名詞「フラット3」について語る戸田和幸氏この記事に関連する写真を見る「この交代で最終ラインの設定の高さが変わったんです。隆三さんはリスクをとれる人なので、大胆なプッシュアップがあり、自分が前に出ていく時は隆三さんも同じスピードで(ラインを上げて)ついてきてくれるので、(自分の)背後に生まれるスペースは(一定して)変わらなかったんです。

 一方で、恒さんは慎重なタイプなので、僕らが前に出た時、うしろ(フラット3)との空間がやや広がった感があった。その分、前に出た時、(自分たちが)うしろに戻る距離が少し伸びたんです」

 後半30分、日本は押し上げた最終ラインの背後をとられて同点弾を叩き込まれた。一見、最終ラインの選手交代によるラインの上げ下げの違いが影響したように思えたが、戸田はそこに因果関係はないと感じていた。それよりも、オフサイドトラップに問題があったと戸田は分析していたからだ。

「ベルギー戦後、最終ラインのメンバーを含めて集まった時、僕が話したのは『ペナルティーボックス内でのオフサイドトラップはないよね』ってこと。ボックス内に入ったボールに対しては、オフサイドをアピールするよりも相手にアタックしないといけない。最後はシューターに対して寄せていかないといけない。そこは明確にしないといけないと思い、言わせてもらいました」

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