伊東純也から飛び出る衝撃エピソード。「骨折していても気づかずプレー」「プラチナ世代という言葉すら知らなかった」 (4ページ目)

  • 中田徹●取材・文 text by Nakata Toru
  • 渡辺航滋●撮影 photo by Watanabe Koji

---- 伊東選手に対するイメージは「俊足」です。しかし、「タフさ」がフォーカスされることはあまりない印象です。

「プロになってから試合をほとんど休んでない。柏の時もたしか休んだのは1試合だったかな?」

---- 伊東選手はプロ1年目のヴァンフォーレ甲府時代、柏レイソルでの3年、そしてゲンクとずっと試合に出続けていますよね。理想的なステップアップを踏んでいるのでは?

「そうですね。海外も早めに来てよかったかな」

---- それはなぜですか?

「年齢の違いはやっぱり感じます。同じ実力だったら若い選手のほうが評価されますよね」

---- 現在29歳。サッカー選手として円熟期です。しかし、伊東選手は今も成長の勢いを感じます。

「同じ年の(遠藤)航(シュツットガルト)もそうです。俺らの年代はまだまだいけるんじゃないかと思います。俺、プラチナ世代のなかでプラチナじゃなかったんですよ」

---- プラチナ世代(1992年生まれを中心とした世代)と呼ばれ始めたころの主な選手と言えば、宇佐美貴史選手(ガンバ大阪)、高木善朗選手(アルビレックス新潟)......。

「(柴崎)岳(レガネス)もそう。小野裕二(サガン鳥栖)は自分と同じ逗葉高校に通ってました。彼はもうマリノスのトップチームで試合に出てましたね。横須賀市選抜で一緒だったので、小学生の頃から知ってましたけど、差がありすぎて逆に何とも思わなかったです(笑)」

---- プロへの欲が出てきたのは?

「ずっとプロになりたかったんですが、『自分がプロになれる』と現実的になったのは大学に入ってからでした。高校時代は県のベスト32で負けたので、スカウトが見にきてたわけじゃなかったし」

---- プラチナ世代のなかには、宮市亮選手(横浜F・マリノス)のように10代でヨーロッパに渡った選手もいました。

「ぜんぜん知らなかったです。気にしてませんでした」

---- 「プラチナ世代」という言葉を知らなかった?

「プラチナ世代という言葉も知らなかったし、宮市(亮/横浜F・マリノス)くんやほかの選手のことも知らなかったです」

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