【日韓W杯から20年】2002年ワールドカップの日本の4試合。日本らしさの否定による勝利とトルシエの謎采配 (2ページ目)
「日本らしさ」の否定による勝利
フィリップ・トルシエ監督は意外な采配をみせた。攻撃を牽引していた柳沢敦を森島寛晃に交代。この交代は柳沢の負傷を考慮したとすれば不思議ではない。意外だったのは稲本の交代だ。2試合連続ゴールで自ら「旬の男」とジョークを飛ばしていた稲本は、この試合でも小野とともに自信満々のプレーぶりだった。
稲本と交代したのは市川大祐、右のウイングバックである。前半、右にいた明神智和を稲本の場所だったボランチへ移した。前半途中で、小野と稲本はポジションを入れ替えていた。一時的なものだが、2人の判断でそうしていた。
おそらくトルシエ監督は、そうした動きを危険な兆候と読み取ったのかもしれない。トルシエ監督らしい采配とも言える。気持ちよくプレーしはじめた小野、稲本に任せるのではなく、違う方向へ舵を切った。
ボランチに移動した明神は稲本のような冒険的なプレーはしない。稲本がいなくなって、ある意味中盤はすっきりした。近くで連係する味方のいない中田英はシンプルにサイドへ展開する。市川と中田浩二によるサイド攻撃、クロスボールという攻撃ルートが明確化された。
後半開始3分、中田英から鈴木隆行へのスルーパスがカットされたが、こぼれ球を森島が思いきりよく蹴り込んで先制する。75分には市川のシザーズを使ったドリブルからのクロスを中田英がヘディングで決めて2-0。
中田浩、市川のクロスボールからのチャンスが続き、中央で失わないのでカウンターされる心配もなくなった。そのまま危なげなく勝利している。
トルシエ監督の「適正化」がもたらした勝利だった。同時に、3戦目にしてようやく発露してきた日本らしさにブレーキをかけた、興ざめの采配でもあった。
このあと、日本代表の歴史にたびたび現れる「日本らしさ」「日本化」「ジャパンズ・ウェイ」といった要素に、冷水をぶっかけた最初のケースだったかもしれない。日本サッカー協会が美徳と考えるものへの否定は、トラウマ的な禍根を残したと考えられる。
2018年ロシアW杯直前にヴァイッド・ハリルホジッチ監督が解任された時、トルシエを思い出した人は少なくなかったのではないか。
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