【日韓W杯から20年】2002年ワールドカップの日本の4試合。日本らしさの否定による勝利とトルシエの謎采配
日韓W杯20周年×スポルティーバ20周年企画
「日本サッカーの過去・現在、そして未来」
2002年日韓W杯 日本の4試合を振り返る 後編 前編はこちら>>
日本を熱狂の渦に巻き込んだ、サッカーの2002年日韓W杯から20年が経った。この特集では、当時のサッカー界の模様を様々な角度から振り返っていく。
日本が戦った4試合を振り返る後編。グループステージ第3戦でチュニジアに勝利し、グループ1位で決勝トーナメントに進出した日本は、ラウンド16(1回戦)でトルコと対戦した。
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2002年日韓W杯。決勝トーナメントに進出した日本はトルコと対戦したこの記事に関連する写真を見る2002年6月14日/グループステージ第3戦
日本 2-0 チュニジア
日本がグループ1位突破を決めた、チュニジア戦のメンバーこの記事に関連する写真を見る
自信が過信に変わる時
日本代表の(フランスW杯から数えて)ワールドカップ6戦目、日韓W杯グループステージ最終戦となったチュニジア戦は、最も安心して見ていられるゲームだった。
チュニジアはフィールドの半分を放棄したように守備を固める。日本は余裕を持ってビルドアップができていて、右へ左へとU字型にボールを動かしていった。
ただ、そこからの攻め込みはベルギー戦、ロシア戦と同じで、ラストパスが一発狙いのためにシュートに至らない。圧倒的にボールを支配しているにもかかわらず、前半の決定機はゼロだった。カウンター狙いのチュニジアにとっては悪い流れではない。
ほとんど攻め込めないチュニジアだったが、CKからカリド・バドラが高い打点のヘディングシュートを放ってひやりとさせた。CKの守備でも日本はゾーンを採用、ゴールエリア周辺を固めているのだが、手前から勢いをつけて走り込まれ、そこへ合わされると危ない。この時も誰もしっかりと競れていなかった。
振り返ってみると、ラウンド16のトルコ戦でウミト・ダバラに決められるヘディングシュートの予告編のようなシーンだった。
前半終了間際には、ハテム・トラベルシのペナルティーエリア内へのドリブルを戸田和幸がファウルぎりぎりで阻止している。ボールは日本が保持、試合内容も圧倒しているようでいて、決定機に近いチャンスを作っていたのはチュニジアだった。
稲本潤一と小野伸二はクリエイティブなプレーを見せていた。それまでの重しが取れたように溌剌としていて、中田英寿とのコンビネーションは本来のよさが発揮されていた。
ただし、軽妙なパスワークでの突破は際どいところを狙うためにぎりぎりで引っかかっている。前半の終わりには、稲本がフィールド中央でボールを失う場面もあった。自信が過信に変わりかけていたかもしれない。
それまでの2戦における単調そのものの攻撃から、創造的な攻め方に変化する兆候は吉と出るか、それとも足下をすくわれる危険なサインと見るべきか、微妙な状態だったかもしれない。
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