【日韓W杯から20年】2002年ワールドカップの日本の4試合。日本らしさの否定による勝利とトルシエの謎采配 (4ページ目)

  • 西部謙司●文 text by Nishibe Kenji
  • photo by Getty Images

 最初に秘密兵器として起用した三都主を前半で諦めた。代わって入った市川のサイド攻撃に託したのかと思ったら、その市川に代えて森島である。残り時間からいって放り込み以外に手はなく、高さのない森島を入れた理由が判然としない。仮に同点にして延長になった場合、45分間もプレーしていない市川を下げたのがもったいなさすぎる。

 結局、日本は何も起こせないまま0-1で敗れた。トルシエ監督が策に溺れて空回りした感はあるとはいえ、攻撃力不足が根本的な敗因だろう。

 中田英のスルーパス、三都主や市川のクロスボールなどはあるものの、ことごとく一発狙いで組織がない。縦や斜めのロングボールを多用する単調な攻撃はこの大会の4試合で変わらず、同じ監督が4年間率いたにしては攻撃のアイデアが貧弱すぎた。

 トルシエ監督は世界標準のひとつを独自のスタイルで実現させ、そのための守備組織を整備した。戦術に選手を押し込んでいくような手法は守備面である程度の成果を出し、それがベスト16進出につながった。

 その半面、アイデアのない攻撃を選手に強要する形となって攻撃力不足を招いた。この大会で3位となるトルコに敗れたのは力の差だが、この試合で日本が持てる力を発揮できたかと言えば疑問である。

 それまでの3試合でみせたエネルギーが感じられないまま、雨の宮城で日本のワールドカップはあっけなく終わった。

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