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サッカー日本代表が必要以上に悪く見えてしまった理由。貴重なテストの場とならなかった (2ページ目)

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki
  • 藤田真郷●撮影 photo by Fujita Masato

このやり方ではテストにならない

 そもそも森保監督はこのベトナム戦に何を求めたのか。試合の狙い、目的は何だったのか。主力を休ませる。これが一番なら納得する。しかしそれならそうと、試合前に宣言すべきだろう。ベトナム戦は結果を度外視した戦いをする、と。

 そうではなかったはずだ。一番のテーマはテストだったはずだ。目標とする本大会ベスト8は、使える選手の絶対数が多くなければ望めない。これは筆者が日頃から指摘してきたことでもある。なぜ毎試合、同じ顔ぶれで戦うのか、と繰り返し、口酸っぱく述べてきた理由はそこにある。

 だが、問題はこのテストの方法、設定にあった。間違いの原因はそこにある。森保監督の力量のなさを、あらためて確認した気がする。サッカー的ではないのだ。サッカーには連係が必要だ。よって、テストは毎試合、少しずつ行なわれなければならない。テストしながら勝利を追求する。サッカーにおけるテストと勝利は、クルマの両輪の関係になければならないのだ。

 スタメン11人を毎試合、2、3人ずつ変える。ベースを維持しながら、その中に新顔を2、3人加えて、様子を見る。馴染むか馴染まないか。使えるか使えないか。相乗効果を得られるか否かは、この方式でないと明らかにならない。テストにはならないのだ。

 しかし、森保監督はそれができなかった。極度に敗戦を恐れ、スタメンを少しずつ崩しながら戦うことができなかった。欧州などサッカーの本場では当たり前になっているサッカー的なテストの方法が、日本人監督の間ではスタンダードになっていない。14-0で勝利したモンゴル戦も、10-0で勝利したミャンマー戦も、その時のベストメンバーで戦ってしまった。

 日本的な価値観から森保監督は抜け出せずにいた。「絶対に負けられない戦い」という呪縛にハマり、甲子園の決勝を戦うがごとく、一戦必勝スタイルで臨んだ。交代枠さえ満足に使いきることができなかった。それでW杯本大会でベスト8と言われても、実現しなさそうなことは見えている。

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