ロンドン五輪で史上最高の成績をあげた選手たちが、日本代表の中核になれなかった理由 (2ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki
  • photo by Snspix/AFLO

◆日本代表が見せた守備練習のような一戦。「スペインの強さ」を誤解していた

 しかし、体力を消耗させ、動きが鈍くなった準決勝以降、厳しい戦いになっている。

 当時のメンバーは、所属クラブでようやく出場機会を得るようになった選手が多かった。宇佐美貴史を筆頭にしたプラチナ世代と期待されたエリート選手たちも、大半はクラブで実績を積み上げられていない。大会でエース的活躍をした大津祐樹でさえ、プロでの試合経験は浅かった。

 多くの選手は"むき出しの才能の脆さ"をにじませ、それをフィジカルと献身で補っていた。

 チーム一丸となった強さは誇ったが、そうせざるを得なかったとも言える。成熟が足りなかった。その証拠に、宇佐美、大津、永井などは欧州での活躍が期待されるも、経験の浅さを露呈。トップリーグでは通用せず、帰国を余儀なくされている。

 所属クラブでポジションを取れるか。それが当時の選考条件のひとつだった。その点、遅咲きの世代だったと言えるかもしれない。

「(横浜F・)マリノスを出るのはひとつの賭けでした」

 ロンドン五輪のメンバーに切り札として滑り込んだ齋藤学は、かつてそう説明していた。

 横浜FMでは3年間、ほとんど出場機会がなかったが、J2愛媛FCへの期限付き移籍で試合を重ね、ドリブラーとしての怖さを開花させた。

「試合に出る必要を強く感じていたし、そのために愛媛を選んだんですが。もし愛媛で出られなかったら、帰るところはなくなりますから、リスクは感じました。でも、そのままではずるずる行きそうで、自分から積極的に動く必要を感じて......」

 五輪を控えた前シーズン、齋藤は愛媛で14得点を記録し、ロンドン行きの切符を手にした。J2ながらこのような数字を叩きだした選手は、同世代では希少だった。

「愛媛では、オリンピックよりもプレーそのものに夢中でした。愛媛が大好きになり、このチームを勝たせたいという一心で、だから記者の人に、オリンピックについて聞かれても『考えていません』と答えていました。大会前にトゥーロン国際ユーストーナメントのメンバーに選ばれ、エジプト戦でなにもできずに負けて悔しくて。真剣にオリンピックを意識するようになりました」

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