ロンドン五輪で史上最高の成績をあげた選手たちが、日本代表の中核になれなかった理由
五輪サッカーの光と影(5)~2012年ロンドン五輪
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2012年のロンドン五輪で、日本は五輪男子サッカーが現行のレギュレーション(1992年のバルセロナから五輪は23歳以下選手の大会となった。ただし東京五輪は例外的に24歳以下に)になって以来、史上最高の4位という結果を残している。
グループリーグの開幕戦でスペインを相手に1-0と金星を飾った余勢を駆ると、第2戦のモロッコ戦も勝利し、早々に決勝トーナメント進出を決めた。ホンジュラスに引き分けた後、準々決勝ではエジプトを10人に追い込んで3-0と下し、メダルの気運も高まった。準決勝でメキシコに、3位決定戦では韓国に敗れ、あと一歩及ばなかったが、誇るべき成績を残したと言えるだろう。
ただ、当時のメンバーで、その後の代表の主力になった選手は思った以上に少ない。3連敗だった北京五輪からは本田圭佑、長友佑都、内田篤人、岡崎慎司、香川真司、森重真人、吉田麻也が台頭したが、ロンドン五輪からは酒井宏樹だけと言っていい。山口蛍、酒井高徳も代表でレギュラーの座を確保したとは言えず、むしろ五輪メンバーから外れた大迫勇也、原口元気、柴崎岳、昌子源がロシアワールドカップで主力となっている。
そんなロンドン五輪世代の実像とは?
ロンドン五輪の直前にハノーファーへ移籍、欧州での挑戦を始めた酒井宏樹この記事に関連する写真を見る「あんなに走り回るチームは見たことがなかった。常識的ではなかっただけに、チームが混乱していた」
日本戦で猛然と走り続ける永井謙佑に面食らい、苛立ちを滲ませたファウルで退場したスペインのイニゴ・マルティネスの回顧である。その言葉はひとつのヒントになるかもしれない。
ロンドン五輪の日本の戦いは、良くも悪くも歪(いびつ)で極端だった。徹底的な前線からのプレッシング。永井を筆頭に走り回り、相手を困惑させ、その虚を突いた。I・マルティネスの発言通り、それは半ば常軌を逸していた。そこまで体力を使えば技術精度が落ちるところを、構わずに走った。実際、チャンスを多く外したが、勝利した試合は先制に成功し、奇襲攻撃が功を奏したのだ。
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