46歳の伊東輝悦「俺、大丈夫なのか?」。カズのあとを追うテルは真のサッカー小僧 (2ページ目)

  • 中山淳●取材・文 text by Nakayama Atsushi
  • photo by Sponichi/AFLO

 たとえば、ポジショニングや相手との駆け引きで体力的な部分をカバーできないかとか、質の部分でもっとうまくできないかとか、ピッチに立つためにはどうしたらいいかとか......。とにかく、歳を重ねていろいろと考えることが増えましたね。

 結局、根本的には『ピッチに立ってプレーしたい』という熱みたいなものがあって、それは若い頃とまったく変わってないんです。だから、今は全然試合に出られない状況が続いているので、ものすごくピッチに立ちたくて。練習だけやっていても、ただしんどいだけで、面白くないですから」

 Jリーグが産声を上げた1993年、東海大学第一高校卒業後に地元・清水に立ち上げられたエスパルスに入団した伊東は、これまでの長いキャリアのなかでいろいろな経験を積み重ねてきた。当然、長く現役を続けていると、いい時もあれば悪い時もある。

---- もしかしたら、18年間プレーした清水を退団することになった時がキャリアの分岐点のひとつだったのではないかと想像しているのですが、30代半ばだったあのタイミングで「現役引退」が頭をよぎることはなかったですか?

「いや、まったくなかったですね。ゼロです(笑)。自分のなかでは100%、次もどこかでプレーしたいと考えていて。そのなかでいくつか話をもらい、(ヴァンフォーレ)甲府がベストだと思って移籍しました」

---- そのヴァンフォーレ甲府時代は激動が続きました。初年度にいきなりJ2に降格して、翌2年目はJ2優勝を果たしてJ1昇格。主力として活躍した当時をどう振り返りますか?

「まず、J2に降格したのは初めての経験ということもあって、ものすごくショックでした。ただ、また次の年もプレーするチャンスをもらったので、必ず1年でJ1に戻る気持ちで全力でプレーしようって。それで、その次の年にJ2優勝ができた。

 やっぱり、J1 でもJ2 でも勝つ喜びは同じ。1年かけてみんなと一緒に作り上げたものを最後に結果として勝ち取ることは、選手としては最高の喜びですよね」

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