サッカー日本代表のユニフォームはなぜ青いのか。その歴史と理由に迫ってみた (3ページ目)

  • 後藤健生●文 text by Goto Takeo

 ユニフォームはそれまで、予選を勝ち抜いたチームが自分たちのユニフォームを着用して出場していた。たとえば、1917年の極東選手権大会の時は、東京高等師範学校の海老茶色のユニフォームに、日本代表であることを示す旭日旗をモチーフにしたマークを付けて出場していたのだ。1927年の上海大会で日本は初めてフィリピンに勝利したが、この時は国内予選に勝った早稲田大学が出場したので、早稲田のエンジのユニフォームで戦っていた。

 さて、それでは1930年に初めて全日本選抜が結成された時に、なぜブルーが選ばれたのか......。考えられる理由はただ一つ。当時、関東大学リーグで6連覇を達成しようとしていた日本最強の東京帝国大学(東京大学の前身)のユニフォームがブルーだったという理由だ。

 1930年の極東選手権大会に参加した日本代表は15人のうち9人が0Bを含む東京帝大の選手だったのだ。これまでも国内予選を勝ち抜いて出場したチームは、他クラブからの補強選手を含めて各クラブのユニフォームを使用していた。だから「今回も東京帝大主体なのだからライトブルーにしようという」のは自然な発想だろう。

 結成された日本代表チームは、現在の東京都練馬区の石神井にあったグラウンドで合宿を行ない猛特訓に励むのだが、当時の写真を見ると多くの選手が胸に「帝大」の文字が入ったブルーのユニフォームをそのまま着用している。

「ユニフォームの色を何色にするか」について、公式文書はもちろん、当時の関係者の証言も新聞記事も何も残っていない。だが、1920年代までの歴史を考えれば、代表の中核を担った東京帝大のユニフォームをそのまま使ったというのは大いにありえることだ。

 1930年大会で「初優勝」という好結果を残したこともあって、その後も日本代表のユニフォームには青が使われるようになった。

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