身長も期待も大きかったが...。日本代表に定着できなかった大型FW5人 (2ページ目)
しかし、9年後に行なわれた自国開催の2002年W杯の舞台に、中田、宮本、松田、戸田らは中心選手として立ったものの、そこに船越の姿はなかった。
船越は高校卒業後にガンバ大阪へと進み、入団直後の1年間はオランダ2部リーグのFCテルスターにサッカー留学。帰国後は飛躍を期待されたが、チームの助っ人パトリック・エムボマの壁を越えられなかった。
1999年からベルマーレ平塚(現・湘南ベルマーレ)、2001年の大分トリニータを経て、2002年から5シーズンをアルビレックス新潟でプレー。新潟時代は3度のアキレス腱断裂から這い上がった。2007年から3シーズンを東京ヴェルディで過ごしたあと、現役最後の1年は当時神奈川1部リーグだったSC相模原に所属した。
今年6月で44歳になる船越は、現在JFAアカデミー福島で指導者となり、日本代表に到達できなかった自身の経験を糧に後進の育成に力を注いでいる。
その船越から8年後、再び国見高出身の大型FWに注目が集まった。190cmの平山相太だ。
「アジアの大砲」として日本代表で活躍した188cmの高木琢也の18歳下、1977年生まれの船越の8年後輩になる平山は、高校サッカーで圧巻の活躍。国内外のクラブから多くの誘いを受けたが、卒業後は筑波大に進学した。そして大学2年時の2005年8月にプロ入りを決断し、オランダリーグ1部のヘラクレスでプロデビューを果たす。
1年目はチーム最多の8得点。2006年1月にはFIFA選出の「ベスト・ヤング・ブレーヤー・オブ・ワールドカップ2006」にノミネートされ、世界で通じる大型FWとして期待が高まった。しかし、2006年W杯ドイツ大会の日本代表メンバー入りは叶わなかった。
2年目は監督交代で出場機会が減ったことにより、2006年9月にFC東京へと移籍。9月30日のアルビレックス新潟戦に先発出場してJリーグデビューを飾り、北京五輪出場を目指すU−22日本代表でも大車輪の活躍を見せた。
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