2021.03.21

本田圭佑とブラジルW杯敗退。「自分たちのサッカー」が行き着いた先

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki
  • photo by JMPA

ワールドカップ・敗北の糧(5)
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 2014年6月24日、クイアバ。ブラジルワールドカップの第3戦、日本は強豪コロンビアに1-4で完膚なきまでに打ちのめされている。そして1勝もできず、大会を去ることになった。

「勝つことができなかったんで、何を言っても説得力がないかもしれないけど......」

 ミックスゾーンに出てきた本田圭佑(ミラン/当時。以下同)は、消え入りそうな声で言った。大会前に「自分たちのサッカーで、ワールドカップ優勝」を公言していたことに触れられると、顔を少し歪めてこう続けた。

「自分は世界一になるのが目標だし、こういうやり方しか知らない。非常にみじめですけど、これが現実。自分が言ったことに責任はあるし、結果の世界ではあるので批判も出てくるだろうし、検証は必要でしょう。でも、この悔しさを生かすしかない」

 日本はなぜ、一敗地にまみれたのか?

2014年ブラジルW杯でコロンビアに敗れ、立ちつくす本田圭佑 2010年夏、日本の手綱を任されたのは、イタリア人アルベルト・ザッケローニだった。

 南アフリカワールドカップでベスト16に進出した戦いは賞賛に値した。気力を振り絞った戦いだった。しかし、世界を相手に立ち止まることはできない。

 ザックジャパンは、これ以上ない順風満帆なスタートを切った。パラグアイ、アルゼンチンという南米の雄を撃破。破竹の戦いを続け、2011年のアジアカップ優勝で早くも戦いの形を作り上げた。

<自分たちが主導権を握って、攻め倒す>

 かつての堅守、カウンター、セットプレーに活路を求めた戦いから、能動的な戦いに転換した。多くの代表選手が欧州の最前線でプレーするようになって、戦力自体が上がっていた。

 本田はロシア・CSKAモスクワでチャンピオンズリーグ(CL)ベスト8進出を決めるゴールを決め、ロシアリーグ優勝の殊勲者にもなって、名門ミランへ移籍。イタリア・インテルに所属していた長友佑都はCLでベスト8に進出し、キャプテンを任されるまでになった。ドイツ・シャルケにいた内田篤人は、日本人史上最高のCLベスト4に進んだ。