大谷秀和と長谷部誠。「同じ選手は必要ない」という日本代表の宿命 (2ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki
  • 藤田真郷●写真 photo by Fujita Masato

 代表のMFには長らく、中田、小野、稲本、中村俊輔、小笠原満男ら"黄金の中盤"が君臨していた。その後は阿部勇樹、遠藤保仁、長谷部誠が定着。代表は狭き門になった。

 2011年から5シーズンほど、大谷は海外組の代表選手たちに勝るとも劣らないプレーを見せている。リーグだけでなく、クラブワールドカップやアジアチャンピオンズリーグなどでも場数を踏んだ。国際大会でも、プレー頭脳は出色だった。

「ボランチ(の条件)は欲を出さない、もしくは隠せること。まずチームを動かすことを考えるべきです」

 大谷はボランチの鉄則をそう説明している。

「動きすぎるべきではないんです。動きすぎると、ボランチ同士の距離が広がったり、近づきすぎてしまったり、相手にスペースを与えることになる。そうなると、全体でポジションを修正しないといけなくなってしまう。それは無駄な動きになるんです。その効率の部分は大事になりますよね」

 そのプレーぶりは長谷部に近い。自分は難しいことをせず、周りを補完し、輝かせる。加えて、リーダーとして周りを束ねる求心力がある。

 長谷部は、大谷と同じ1984年生まれだ。ユース年代は不遇で、五輪のメンバーにも入らなかった点は共通している。ただ、彼は浦和レッズにとどまることはなく、ドイツ・ブンデスリーガで功成り名を遂げ、欧州でも有力MFのひとりになった。本田、香川、長友などを黙らせる経歴も身につけ、国際経験の豊かさは群を抜いていた。

◆長谷部誠に聞く仕事の流儀。「日本の過労の問題はしっかり考えないと」>>

 その点、同じ選手は代表に2人必要なかったということか。

 ただ、これは日本だけに起こる現象ではない。

 スペインでも、シャビ・エルナンデス、アンドレス・イニエスタ、セスク・ファブレガス、シャビ・アロンソ、セルヒオ・ブスケッツらの中盤は、絶対的存在だった。才能の宴。それは同時代のMFの代表入りの道を封じた。

 アトレティコ・マドリードの生え抜きで、ディエゴ・シメオネ監督の手足のようになった"ピッチの指揮官"ガビは、一度も代表に選ばれていない。アトレティコでは主将として、リーガ・エスパニョーラ、スペイン国王杯優勝をもたらし、2度のヨーロッパリーグ制覇、2度のチャンピオンズリーグ決勝進出に導いた。戦術眼に優れ、闘志を伝播させられるMFだ。

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