大谷秀和と長谷部誠。「同じ選手は必要ない」という日本代表の宿命

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki
  • 藤田真郷●写真 photo by Fujita Masato

連載:「日本代表」という肩書に迫る(3) (1)から読む>>

 ひとつの世代がうねりになると、その前後の世代を飲み込む――。

 黄金世代と言われたシドニー五輪世代の選手たちは、長く日本サッカーの中枢にいた。1999年ワールドユース(現行のU-20ワールドカップ)決勝進出を皮切りに、2000年シドニー五輪、そして2002年の日韓ワールドカップから2006年のドイツワールドカップまで。小野伸二、稲本潤一、高原直泰、さらにはその少し上の世代の中田英寿、松田直樹らを含めて、ひとつの時代を作った。

 際立った反骨心を見せたのが、北京五輪世代だろう。2008年の北京五輪は惨敗に終わったが、いっせいに欧州に活躍の場を求め、捲土重来を果たした。内田篤人、香川真司、吉田麻也、本田圭佑、岡崎慎司、長友佑都は世界に名を轟かせ、長く日本サッカーを支えることになった。

 彼らがポジションを盤石にした時代、臍(ほぞ)を噛むことになった男たちがいたのは必然だ。

 2003年から柏レイソルひと筋、MF大谷秀和(36歳)が代表0キャップというのは、俄かには信じられない。

2015年、東アジア杯の予備登録メンバーになったのが唯一の代表歴である大谷秀和(柏レイソル)2015年、東アジア杯の予備登録メンバーになったのが唯一の代表歴である大谷秀和(柏レイソル) 柏のプレーメイカーとして攻守の舵を取り、ボランチとしてのクレバーさは、今もJ1屈指だ。的確なポジションをとることで優位を得て、防御ラインを構築する一方、俯瞰したビジョンで繰り出すパスは迅速で味方に猶予を与え、攻撃の渦を作り出す。サイドバックやセンターバックに入っても、難なくプレーできるのは、サッカーIQの高さによるものだ。

 大谷は23歳にして主将に就任。抜群のリーダーシップを発揮してきた。「勝利のボランチ」の称号がふさわしく、国内三大大会であるJリーグ、ヤマザキナビスコカップ(現行のルヴァンカップ)、天皇杯とあらゆるタイトルを獲得している。

 にもかかわらず、代表でプレーした経験はない。いや、五輪代表にも呼ばれなかった。それどころか、どのユース年代の代表にも入っていない。

 大谷は、シドニー世代と北京世代の間であるアテネ世代の最年少選手だった。年齢的に後れを取る形になったのはあるが、そのすぐ後の北京世代が旋風を巻き起こしたのだ。

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