柱谷哲二が語るドーハの悲劇。イラク戦で投入してほしかった選手の名は【2020人気記事】

  • 佐藤 俊●取材・構成 text by Sato Shun
  • 甲斐啓二郎●撮影 photo by Kai Keijiro

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新型コロナ渦に見舞われた2020年。スポーツ界も東京五輪・パラリンピックの延期決定など多くの打撃を受けた。そのなかでもスポルティーバでは様々な記事を掲載。2020年に配信された記事のなかで反響が大きかったものを再公開する(2月1日掲載)。

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私が語る「日本サッカー、あの事件の真相」第12回
オフトジャパンの快進撃とドーハの悲劇~ 柱谷哲二(3)

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 1993年10月、アメリカW杯最終予選に向けての日本代表メンバー22名が発表になり、初のW杯出場を目指す日本代表を応援しようと国内の熱が高まっていた。Jリーグが開幕し、日本中がサッカー一色になり、その勢いが日本代表にも伝播したのだ。

 W杯最終予選前に、国内でアジア・アフリカ選手権が開催された。

アメリカW杯最終予選、ドーハの悲劇について語る柱谷哲二アメリカW杯最終予選、ドーハの悲劇について語る柱谷哲二 この大会前、日本代表のキャプテン・柱谷哲二は、肝機能を低下させるウイルス性の風邪のために8月上旬から1カ月ほど入院生活を送った。コートジボワールとの試合の時は復帰して2週間しか経過しておらず、ぶっつけ本番だったのだ。

 ハンス・オフト監督からは「前半だけ出ろ」と言われたので、そのつもりでプレーした。試合は直前のスペイン合宿で露呈した守備の脆さがなくなり、相手を封じ込めた。前半0-0で終わり、「交代だな」と思い、ロッカーでオフトを探した。

「チェンジと言われると思ってオフトの顔を見ていると、ぜんぜんこっちを見ないんですよ。目を合わせないまま結局後半もゴーになり、出ることになった。延長までやってカズ(三浦知良)がゴールを決めて勝ったんだけど、ゼロに抑えたことで自分はできる、これならやれるなっていう自信がついた」

 ただ、柱谷の病気は完治したわけではなく、37度2分の微熱がつづき、体の節々に痛みを感じた。アメリカW杯最終予選のカタール・ドーハに入ると、暑さの影響で熱が下がらず、それまで肝臓に負担がかかると飲用しなかった薬を飲み、試合に臨んだ。

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