日本代表選手の意識は2000年アジアカップ優勝後に大きく変わった (5ページ目)

  • 浅田真樹●取材・構成 text by Asada Masaki

 遠い昔を懐かしむように、それでいて今でもどこか楽しげに、名波がアジアカップ優勝を振り返る。

「もともと、若い選手が持っている技術にプラスして、戦術眼や、トルシエのタクティクスの部分をうまく融合できましたよね。その点では、オレは1995年から日本代表に絡んでいますけど、(ワールドカップに初出場した)1998年より前の世代とはちょっとレベルが違ったなと思います。すげぇ~ヤツらが出てきたな。そういう大会だったと思います」

 シドニー五輪から2カ月に及ぶ戦いをようやく終えた明神は、ホッと胸をなで下すとともに、「最後に優勝で、しかも、いい内容で終われた達成感は大きかった」という。

「日本がアジアのチャンピオンになって、もう目指すところはそこじゃない、世界だよ、と。この2000年を境に、そう変わっていったんじゃないかなと思いますね」

 長く育成年代に関わってきた山本にとっては、その積み重ねの成果を実感する瞬間だった。

「この世界はどんなにいいサッカーをしたって、結局は実績を積み上げることでしか自信にならない。そういう意味では、1996年大会がベスト8敗退だったところを、4年後のこの大会で優勝して上回った。そこで生まれた自信みたいなものが、一人ひとりの風格となり、ピッチに出たときにも1対1で自信満々にプレーできるようになる。結果を出すことで、やれるんだっていう自信を身につけていく。それが大きかったと思います」

 1956年の第1回大会に端を発するアジアカップ史において、中東開催の大会で中東勢以外の国が優勝するのは、これが初めてのことだった。

 平均年齢およそ24歳の若き日本代表がこじ開けた、新たな歴史の扉である。

(つづく)

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