20年前の若き日本代表は、苦境を跳ね返し「大人の集団」になっていった (3ページ目)

  • 浅田真樹●取材・構成 text by Asada Masaki

 高原からマイナスに折り返されたパスに、トップスピードで走り込んだ明神が右足を合わせると、放たれたボールは素直な回転のまま、一直線に中国ゴールへ飛び込んだ。

「あのゴールに関しては、力も入ってないし、ミートするだけでいいキックをしましたね。(ミスをした)自分が取り返さなきゃとか、そういう気持ちがあったら力んだと思うんですけど、自然と(力を抜いたシュートが)できていました。映像を見返しても、あんなシュートが打てるんだなって思います(笑)」

 思わぬ伏兵が決めた起死回生のゴールを、名波も絶賛する。

「当時、そんな言葉はなかったですけど、インナーラップ気味に入ってきた明神がシュートを決めた。あれは明神の好判断だったと思うし、タカもいいタイミングで、しっかりそれを使った。明神にとっても、代表で確固たる地位を築くターニングポイントになったゲームだったんじゃないかな。準々決勝でも(4点目の)点を取って、国際Aマッチ初ゴールから2戦連発だったからね」

 ただし、明神本人は手放しに喜べたわけではなかった。

「自分で取り返せてホッとした気持ちはありましたが、それよりも、なぜあんなミスをしたのかとか、あの1点で負けていたかもしれないとか、そういう考えのほうが僕自身はずっと頭に残っていました」

 試合後、冴えない表情の明神を見かねて、声をかけてきたのはトルシエだった。

「明神、どうした、その顔は?」

「いや、自分のミスから失点してしまったので......」

「そんなのあったか? オレは覚えていないけどな」

 そう言うと、トルシエは「ナイスゴールだったな」と言い添えて、殊勲者をねぎらった。

「自分の気持ちは、あれですごく楽になりましたね。監督のあの言葉には、本当に救われました。そういうところまで見ている人なんですよね」

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