川口能活が若手GKの海外挑戦に「僕のマネをしてほしくない」と言う理由 (5ページ目)

  • 原田大輔●取材・文 text by Harada Daisuke
  • photo by AFLO

「行ったことで、サッカーのスタイルも含めて世界は広いんだな、と感じることはできましたよね。あと、何より当時、ビーサントは42歳。その年齢でポーツマスのレギュラーを務めて、若手と同じトレーニングをしていた。試合中も42歳とは思えない守備範囲の広さと躍動感あるプレーを見た時、GKはこの年までプレーできるんだなって思ったんです」

 川口が43歳まで現役を続けていた背景には、ポーツマス時代をともにしたベテランGKの面影があったのかもしれない。

「僕が海外に行く前から持っていた野心や自信といったパーソナリティに加えて、欧州で出会ったGKたちは、どこか常に余裕がありました。そこにいるだけで安心する包容力というか、雰囲気を感じた。

 自分がプレーで勝てなかったことには悔いが残りますけど、指導者になった今、彼らから吸収した雰囲気、たたずまい、そして人間性を知ることができたのは大きかったと思っています。だから、悔いも残っていますけど、やっぱり、行ってよかったなと思います」

 GKという、ある種特殊なポジションだけに、世界を知る指導者がいることは、技術を伝えるだけでなく、経験という側面においても、日本サッカー界にとって大きな財産になる。その空気を吸ったものでなければ、その雰囲気を知るものでなければ、伝えられないことはある。

(後編につづく)

【profile】
川口能活(かわぐち・よしかつ)
1975年8月15日生まれ、静岡県富士市出身。1994年、清水商高から横浜マリノス(現F・マリノス)に入団。2年目には正GKとなりJリーグ新人王を獲得する。1996年のアトランタ五輪では「マイアミの奇跡」の立役者となり、1997年から2008年まで国際Aマッチ116試合に出場。2001年からポーツマス→ノアシェランと海外に挑戦し、2005年にジュビロ磐田へ。その後、FC岐阜→SC相模原を経て2018年に引退。現在は東京五輪代表GKコーチを務める。

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