「グラスゴーの奇跡」も起きた。永井謙佑が語るロンドン五輪の真実 (4ページ目)

  • 佐藤 俊●取材・文 text by Sato Shun
  • 木鋪虎雄●撮影 photo by Kihsiku Torao

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「あのゴールはGKより先に触れると思ったけれど、ピッチが硬かったので、シュートが途中でバウンドした時にゴールを外れてしまうのではないかと心配しました。清武選手のパスは絶妙でした。パスを出す瞬間、顔を上げるんです。ボールが来るなと思って走ったらポンと出てくる。

 僕の場合、スペースにアバウトにパスを出してもらったほうがいいです。清武選手はそれを理解してくれていて、ほかの選手よりもひとつ奥の場所にパスを出してくれる。それで僕の次のプレーは楽になります。相手の懐深くに入れる回数が増えるのでチャンスになるし、そこでファウルをもらえば相手に警告が出ることもあるので」

 モロッコに1-0で勝利した日本は、3戦目のホンジュラス相手には主力を温存して0-0のドロー。グループリーグを首位で通過し、準々決勝でエジプトと対戦することになった。

 そのエジプト戦も、日本は安定した戦いで3-0の完封勝利を挙げ、68年メキシコ五輪以来、44年ぶりの準決勝進出を決めた。

 永井はエジプト戦でも先制点を挙げて、勝利に貢献した。しかし、ゴール直後に相手のラフプレーでモモ裏を打撲し、途中交代を余儀なくされた。

「あれは、サッカー人生でいちばん痛い太ももの打撲でした。100kg近い選手に後ろから思いきりやられましたからね。ゴールを決めた瞬間、喜びたかったですが、痛すぎて喜べなかった(苦笑)。シュートを打ったあとに来たので、狙われていましたね。カードが出るかなと思ったけれど、出なくて。

 僕は、まだ行けるかなと思ったけれど、途中からヒザが曲がらなくなったので交代させてもらいました。その後、大津(祐樹)選手と吉田麻也選手が決めてくれたので、ロッカールームでアイシングをしながらゆっくり試合を見ていました」

 永井のモモ裏の負傷は、かなり重かった。実際、次の準決勝メキシコ戦前日まで出場の目処が立なかった。しかし、永井は治療に専念するなか、チームに大きな変化が生じているのを感じていたという。

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