永井謙佑が説くOA枠の重要性。東京五輪に必要な理想の選手も挙げた (2ページ目)
加えて、永井をはじめ選手の表情には連戦で疲労の色が濃く見られ、相手の堅い守備に手を焼き、攻め手を見つけることができなかった。
結局、日本はメキシコに1-3で敗れ、五輪で初の決勝進出の夢が潰えてしまったのである。
「メキシコは個の質が非常に高かったし、戦い方が洗練されていた。(ホルヘ・)エンリケス、(カルロス・)サルシドは本当にうまくて、いろんな面で違いを見せつけられた試合でした。ただ、負けたショックは、それほど大きくなかったです。まだ1試合ありましたし、引いた相手にどうするのかという課題が出てきたので、みんなで考えていました」
初失点、初黒星の衝撃。そして拭えきれない疲労。それでもメダル獲得のために気持ちを入れ替えて、韓国との3位決定戦に挑んだ。しかし、試合は韓国がロングボールを多用する割り切った攻撃で、日本を封じ込めた。日本は韓国の戦術に対応しきれず、0-2で敗れ、4位に終わったのである。
「最後、2つ負けて悔しさはあったけれど、個人的には出し切った感がありました。チームとしては、4位が自分たちの限界だったとも思います。メキシコ戦から日本の戦い方は研究されていたし、韓国はボールを奪われてカウンターをされないように、自分たちが寄せる前から蹴ってきました。失点もロングボールを蹴られて、その競り合いからやられたので......。本来、蹴らせない間合いまで詰めていかないといけなかったけれど、みんなかなり疲れていたので動けなかった」
韓国戦は、2週間で6試合目だった。
初戦のスペイン戦から100%で飛ばした日本は、3戦目のホンジュラス戦で主力を入れ替えたが、準々決勝で永井が負傷。選手は試合と移動で疲労が重なり、コンディションが低下していた。永井は、6試合を戦う計算ではなかったという。
「メキシコ戦はピーキングの差が出たと思います。自分たちはグループリーグを突破するために、初戦のスペイン戦にピークを持って行きました。でも優勝を狙うならメキシコのように、決勝トーナメントに入ってからピークが来るぐらいじゃないといけない。
自分たちには、その余裕がありませんでした。スペイン戦後は、歯を食いしばって戦い、勝ち上がることが精一杯で、先をどうこう考えられなかった。中2日では、いくら若いと言っても疲労が残るし、あのプレッシングサッカーはできない。その意味でも限界でした」
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