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闘将・柱谷がラモス瑠偉に最後通告。
オフトジャパン初優勝の夜の叫び (2ページ目)

  • 佐藤 俊●取材・構成 text by Sato Shun
  • 甲斐啓二郎●撮影 photo by Kai Keijiro

 柱谷の言葉をフォローしてくれたのがカズ(三浦知良)だった。

 カズは、中学卒業後、単身でブラジルに行き、プロになり、日本に戻ってきた。ラモスと共に日本代表にプロフェッショナルという新しい血を入れ、アマチュアだった選手のメンタルをプロに昇華させてくれる存在で、ラモスも一目置いていた。そのカズが「そのとおり、プロは監督に言われたことをやらないといけない。プロってそういうもんだから」と言ったのだ。

 92年8月22日から29日まで、中国の北京でダイナスティカップが開催された。

 日本はグループリーグ初戦の韓国に引き分けた。だが、続く中国と北朝鮮に勝利してグループ1位。2位韓国と戦った決勝は、2-2からPK戦で勝利し、優勝した。日本が海外の国際大会で優勝するのは初めてで、柱谷は大きな自信と可能性をチームに感じた。

「前回大会は、韓国、中国、北朝鮮に全敗だった。負けて何もできない状態だったのが2年後に韓国に勝って優勝した。オフトの言うことを守りつつ、自分たちがプラスアルファでやっていけば十分にやれるんだって自信がついた。結果が出たことで、みんなオフトについて行くみたいな感じになって、一段と結束力が増した感じだった」

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