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闘将・柱谷がラモス瑠偉に最後通告。
オフトジャパン初優勝の夜の叫び (5ページ目)

  • 佐藤 俊●取材・構成 text by Sato Shun
  • 甲斐啓二郎●撮影 photo by Kai Keijiro

 柱谷の言葉は、ラモスが想像できないものだったが、カズと共にラモスがいちばん信頼している選手の言葉である。テツが言うなら仕方ないか、と理由づけができたことで静かに受け入れてくれたようだった。ラモスはオフトのサッカーは嫌いだったが、仲間の声は信じていたのだ。

 ダイナスティが終わり、オフトとラモスの摩擦は解消の方向に進んでいくだろうと柱谷は考えていた。だが、強烈なオフト批判をした記事を見たオフトは、「このままにしておけない」と激怒した。オフトは、ついにラモスと1対1の話し合いに臨んだ。

 アジアカップ広島大会前、日本代表が集合した。

 その際、柱谷は、オフトとラモスの雰囲気の違いにすぐに気がついた。

「なんかふたりの雰囲気が違うんだよね。ずっとふたりで話をしていて、いきなり仲がいいわけ。変な感じだけど、まあよかったなってホッとしました」

 92年10月~11月にかけて行なわれたアジアカップは、翌年から始まるアメリカW杯予選の前哨戦、しかもホームでの開催なので絶対に勝たなければいけない大会だった。「われわれは歴史を変えるんだ」という旗印の下、指揮官と王様が和解した日本は快進撃をつづけた。決勝でサウジアラビアを破り、ダイナスティカップにつづいて優勝を果たしたのである。

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