後輩の堂安律も驚いた。田中駿汰が「遠回りして」五輪代表で花開く (2ページ目)
それに、E−1のメンバーの半分くらいがオリンピックメンバー(東京五輪世代)だった。このメンバーが(東京五輪世代では)中心になってやっていかないといけないと思うので、自覚というか、責任感が芽生えたんです」
2カ月前のコロンビア戦でもスタメンに抜擢されたが、チームが全体的に不出来だったこともあり、田中駿汰はまるで持ち味を出せなかった。
「コロンビア戦ではプレッシャーがあるなか、全然ボールを受けられなかった。だから今日(サウジアラビア戦)は勇気を持って(パスを)受けに行こうと。受けに行くことでシャドーが空いたりするので、常に顔を出すつもりでいました。その意識の差や(コンビを組んだ)ボランチとの関係性(がコロンビア戦よりよかった理由)ですかね」
そのコロンビア戦では、すでにA代表の常連となっている堂安律(PSV)が初めて東京五輪代表に招集された。田中駿汰にとって堂安は、ガンバ大阪ジュニアユース時代のひとつ後輩にあたる。その堂安がこんなことを言っていた。
「本当にあの人(田中駿汰)を見ていると、サッカー選手はどうなるかわからないなと。となりに市丸瑞希(G大阪)君がいて、という状況を見ていたなかで、彼が今ここにいるので新しい刺激をもらっているし、本当にリスペクトしています」
サッカー選手はどうなるかわからない----。G大阪ジュニアユース時代、チームの中心にいたのは、同級生で年代別代表の市丸瑞希や髙木彰人(松本山雅FC)、初瀬亮(ヴィッセル神戸)やひとつ下の堂安だった。田中駿汰もレギュラーだったが、メインキャストだったわけではない。
「中学3年の時は瑞希とボランチを組んでいたんですけど、僕はただとなりにおるっていう感じで、瑞希にほぼ任せていました。瑞希のことは尊敬していたし、瑞希に対してライバル心を持っていたから、やってこられたと思います」
その後、市丸や髙木、初瀬、堂安らがG大阪ユースで活躍し、トップチームに昇格していくのを尻目に、田中駿汰は履正社高、大阪体育大学に進み、技術を磨いてきた。
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