黄金世代・永井雄一郎が感じた
1999年ワールドユース準優勝の日本の武器
無料会員限定記事
世界2位の快挙から20年......
今だから語る「黄金世代」の実態
第8回:永井雄一郎(2)
1999年ワールドユース(現U-20W杯)・ナイジェリア大会において、日本は準決勝で永井雄一郎の決勝ゴールによりウルグアイを破り、決勝進出を果たした。チームが勢いをつけて勝ち進んでいくなか、永井は97年マレーシア大会に経験したチームとは違うものをこのチームに感じていた。
「97年大会のチームは(中村)俊輔、大野(敏隆)さん、明神(智和)さんが中盤にいて、俺は柳(柳沢敦)さんと2トップを組ませてもらった。あのチームの選手は俊輔を筆頭に『みんなうまいなぁ』と思ったし、完成されている感じだった。ただ、大会では、負けたいわけじゃないけど早く日本に帰りたい、みたいなムードだったんです。自分も、勝ちたいけど帰りたい、という気持ちがどこかにありましたね。
でも、99年大会の時は、まったくそういうものがなかった。97年大会では部屋に閉じ籠っている選手が多かったけど、ナイジェリアではリラックスルームでダウンタウンのビデオを一緒に見たり、(小野)伸二が『これできるか』ってリフティングして、それをみんなでやったり、すごく仲が良くて楽しかった。みんなで一緒に戦っていこう、という一体感はナイジェリアの方が強かったですね」
世界2位になったチームついて語る永井雄一郎 選手が仲良くひとつにまとまることができたのは、もちろん選手個々の姿勢の違いもある。だが、環境面も大きく影響したことは間違いない。
「(事前合宿を行なった)ブルキナファソでは部屋に大量の蚊がいて、マラリヤの予防接種をしているけど、恐いから蚊取り線香をもらってきて3カ所ぐらいに置いていたんです。布団をかぶって寝たんですけど、めちゃくちゃ煙くて(苦笑)。道路で子どもがビニール袋に入れて売っていたパンがホテルの食卓に並んだり、バスがヤギを轢いたり、かなりいろんなことがあったけど、もう笑うしかなかった」
ナイジェリアでも、ホテルでエレベーターが止まったり、便器の座椅子が壊れていたり、試合中に停電が発生したりと、いろんなことが起こった。
1 / 3