2019.05.27

播戸竜二が語る世界2位。日本には
「小野伸二という『太陽』がいた」

  • 佐藤 俊●取材・構成 text by Sato Shun
  • 甲斐啓二郎●撮影 photo by Kai Keijiro

世界2位の快挙から20年……
今だから語る「黄金世代」の実態
第7回:播戸竜二(1)

 1999年3月15日、ワールドユース(現U-20W杯)・ナイジェリア大会に出場するU-20日本代表メンバー18名が発表された。

「(自分の)名前があったんはうれしかったし、ホッとしたね。また、このメンバーでサッカーできるんやって思ったんで」

 播戸竜二は当時を思い出して、顔をクシャクシャにしてそう語った。

1999年ワールドユースについて語る播戸竜二 そのメンバー発表から遡(さかのぼ)ること1年前、播戸はガンバ大阪に入団した。当初練習生扱いだったが、しばらくしてプロ契約を勝ち取った。

 同年8月には、ワールドユースのアジア最終予選(アジアユース選手権)を目前に控えたU-19日本代表に招集され、SBSカップに出場。そこでのプレーが、当時同チームを率いていた清雲栄純監督に評価され、最終予選に挑む代表チームにも選出された。同大会では全6試合に先発出場し、日本の世界大会出場に貢献した。

 この時、播戸の胸中には特別な思いが込み上げたという。

「SBSカップからアジアユースと、みんなと一緒にサッカーができるのは、幸せでしかなかったね。当時、ガンバではプロ1年目で、試合に出ることに必死で、楽しいとか考えている余裕なんて、まったくなかった。でも、代表で(小野)伸二やイナ(稲本潤一)らとプレーして、ホンマに楽しいなって思ったし、少しでも長く一緒にプレーしていたかった。だから(この時)、こいつらに離されないように『がんばってサッカーをやりたい』という気持ちがすごく強くなった」

 清雲監督のあと、同代表チームはA代表との兼任でフィリップ・トルシエ監督が指揮することになった。播戸の気持ちは、より代表に傾いて「ガンバでどうこうよりも、代表でやりたい」と思っていたという。そうして、大会2カ月前のブルキナファソ遠征を経て、播戸は本大会のメンバー入りも決めた。

 だが、メンバーリストを見て、播戸はハッとした。

「びっくりしたね。『えっ、永井(雄一郎)くんも?』って。(1997年ワールドユースにも出場していて)『2回目やん。1回出たし、もうええやん』って思ったもん(苦笑)」

 ワールドユースのレギュレーションが1999年大会から変更され、それまで1回しか出場できなかったものが、年齢さえクリアしていれば、複数回の出場が可能となった。そして、トルシエ監督の要望もあって、当時ドイツでプレーしていた永井が急きょ招集された。