2019.04.15

黄金世代の加地亮が求めたものは、
代表入りでもW杯出場でもなかった

  • 佐藤 俊●取材・構成 text by Sato Shun
  • 説田浩之●撮影 photo by Setsuda Hiroyuki

世界2位の快挙から20年……
今だから語る「黄金世代」の実態
第4回:加地亮(後編)

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 1999年4月末、U-20日本代表はワールドユース準優勝という結果を引っ提げて凱旋帰国した。

 同代表メンバーとしてナイジェリアの地で奮闘した加地亮(かじ・あきら)は、その経験を踏まえて、さらなる成長を図るため、自身の担当エージェントに「海外へ移籍したい」と申し出た。

ワールドユースで「世界」を知った加地亮は海外への移籍を考えたが...。photo by Yanagawa Go エージェントは、加地の訴えにこう答えた。

「おまえ、アホか」

 それは、痛烈なひと言だった。

 1999年4月時点において欧州でプレーしていた日本人は、カズこと三浦知良と、中田英寿のふたりだけ。カズは日本人プロサッカー選手の第一人者でもあり、1994-1995シーズンにはイタリアのジェノアでプレーし、その当時はクロアチアのディナモ・ザグレブに在籍していた。

 中田は日本が初のW杯出場を果たした前年のフランス大会で、代表チームのエースとして君臨。その後、1998-1999シーズンにイタリアのペルージャに移籍して、開幕戦のユベントス戦で2ゴールを挙げる鮮烈デビューを飾った。

 当時、日本人が海外に挑むには、中田のレベルが求められ、日本を代表するトッププレーヤーに限られていた。そのレベルの選手にしかチャンスは与えられず、ワールドユースでベスト11に選出された小野伸二や本山雅志でも困難な状況にあった。

 そんななか、Jリーグの所属クラブ(当時セレッソ大阪)でレギュラーでもなく、ワールドユースでも控え組だった加地が、同世代の小野らはもちろん、日本代表で活躍する選手たちを差し置いて海外に行くのは、夢物語でしかなかった。

 そういう意味では、エージェントの回答は至極まっとうなものだった。