「自分の実力不足なのに他人のせいに
していた」三好康児の危機感
東京五輪を目指す若きフットボーラーたち(4)
北海道コンサドーレ札幌・三好康児@後編
順調に出場機会を伸ばしていたプロ3年目に陥ったスランプ、北の大地で出会った外国人監督から学んだ数々のアイデア、そして、11月のドバイカップにおける失望......。「危機感は常に持っている」と語るU-21日本代表の10番、三好康児が思い描く未来とは?
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「東京五輪を目指す若きフットボーラーたち」(1)から読む>>>MF三好康児(みよし・こうじ)1997年3月26日、神奈川県生まれ。川崎フロンターレU-18出身―― 北海道コンサドーレ札幌のミハイロ・ペトロヴィッチ監督との出会いは、大きなことだったと思います。ミシャさんのもとでプレーして、どんな影響を受けましたか?
三好康児(以下:三好) ミシャさんと出会えたのは、本当に大きかったです。そもそも外国人監督の指導を受けるのは初めてだったので、コミュニケーションの部分から新鮮でしたし、攻撃のアイデアは豊富だし、練習でも頭を使わないとやれないですし。
―― そういうトレーニングメニュー?
三好 はい。タッチ数とか、いろいろと制限を設けるので、試合より難しいことがよくあって。攻撃のアイデアのところでも、練習中に僕がシュートを打つと、「あそこ、見えていたか?」と言ってくれるんですよ。いくつかある選択肢のなかから、それをベストだと思って選んだのかって。見えていないときもあるので、そう言ってもらえると選択肢が広がって、ありがたいですね。
―― プレー面では、どういうところに成長を感じました?
三好 ミーティングで相手の分析もしっかりやるんですけど、それが逆に、自分たちの戦術を理解する時間にもなって。だから、どういった立ち位置を取るか、ポジショニングに関してより深く考えるようになりました。
もともとポジション取りを大事にするプレースタイルなので、自分でも考えていたつもりでしたけど、ミシャさんにしかないアイデアもあって、それは本当に自分にとって新たなオプションになったと思います。
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