堂安律のように海外リーグに行きたい岩崎悠人。「もう20歳ですから」 (2ページ目)

  • 飯尾篤史●取材・文 text by Iio Atsushi
  • 牛島寿人●撮影 photo by Ushijima Hisato, Getty Images

―― 1年生の時からレギュラーでした。

岩崎 はい。負けず嫌いでもあるので、必死にボールに食らいついていたら、足が伸びるようになった感じです。アジア大会はけっこう、グラウンドの状態が悪かったじゃないですか。ああいうところでも平気でやれるようになれたのは高校時代のおかげです。

 あと、高2の時から、JARTA(ジャルタ)というトレーニングを取り入れるようになって。それは今もやっていて今年4年目ですけど、可動域が広がったり、身体操作というか無駄のない速い動きができるようになってきた気がします。

―― 滋賀県で過ごしていて、京都橘高に進学した。中学3年の時、京都橘高が全国高校サッカー選手権で準優勝したのを見て進学を決めたそうですが、他に京都橘高に憧れた理由はありますか?

岩崎 選手権を見て、やっぱり高校サッカーはいいなと思っていて、高体連から誘われたのが橘だけだったんですよ。米澤先生が声をかけてくれて。中学3の時に高1の先輩たちと一緒に国体に出たんです。

―― 滋賀県選抜の一員として、ですね。

岩崎 はい。その滋賀県選抜の監督と米澤先生の仲が良くて、紹介されたんです。それで会ってみて米澤先生に惹かれたというか。実際はむっちゃ怖かったですけど(笑)。

―― では、これまでは比較的順調にキャリアを築いてきて、今季は初めて大きな壁にぶつかっている感じですか?

岩崎 いや、中学時代はめっちゃ悩んだし、間違いなく挫折を味わったと思います。でも、自分としては、南アフリカ・ワールドカップを見て日本代表になるという夢を持って、それになるためにガムシャラに、ずっとボールを蹴ってきたし、苦しい状況のなかで、自分でいろいろと考えたことが今、大きな財産になっていると思います。だから、今もいろいろと考えていますし。来年や再来年に、この時期があったから今の自分がいるって言えるように、がんばるしかないですよね。

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