2018.12.04

堂安律のように海外リーグに
行きたい岩崎悠人。「もう20歳ですから」

  • 飯尾篤史●取材・文 text by Iio Atsushi
  • 牛島寿人●撮影 photo by Ushijima Hisato, Getty Images

東京五輪を目指す若きフットボーラーたち(3)
京都サンガF.C.・岩崎悠人@後編

 京都サンガではプロ1年目の昨シーズンから出場機会を掴み、U-20ワールドカップにも出場した。だが、けっしてエリート街道を歩んできたわけではない。中学時代には挫折も経験したが、苦しい時期に支えてくれたのは、「日本代表になる」という夢だった。だから今、出場機会を失っても腐ることはない。悩みながらも考え抜くことが未来を切り開くことにつながると、岩崎悠人は知っているからだ。

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FW岩崎悠人(いわさき・ゆうと)1998年6月11日、滋賀県生まれ。京都橘高出身―― 今年のアジア大会期間中、岩崎選手は「高校の時もそうですけど、今までゴールでチームの信頼を得てきたし、ゴールでチームを助けてきたから、僕にとってゴールは大きいものだ」と言っていました。子どものころからストライカー、ゴールゲッターだったんですか?

岩崎悠人(以下:岩崎) いや、小学生時代はボランチとかで、自分でドリブルで抜いていって、GKと1対1になったところでパスを出して決めてもらう……みたいなシーンが多かった覚えがあります。

―― 低い位置から運んで。足は速かったんですか?

岩崎 足は速かったと思います。

―― では、いつからストライカー、点取り屋に?

岩崎 高校に入ってすぐ、いきなり(京都橘高の)米澤(一成)先生にFWに指名されて、中野克哉くん(現関西大)と2トップを組んでからですね。中学時代(彦根市立中央中)もトップ下でしたから。

―― トップ下から突破していくような?

岩崎 ダイヤモンドの4-4-2で、トップ下をやっていたんですけど、2トップも速かったので、相手の背後にバーンと蹴って、走らせていました。

―― 馬力だとか、多少無理の利くプレーも魅力だと思いますが、そういうプレースタイルはどういう経緯で自分の武器になっていったんですか?

岩崎 高校の時は土のグラウンドで、米澤先生に1対1、2対2、3対3などをかなりやらされたんです。そのなかで、自分よりもうまい選手というか、3年生とずっと対戦していたので。