2018.09.09

恩人・今西和男が森保一を語る。
「サッカーを続けたいと必死だった」

  • 木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko
  • 西田泰輔●写真 photo by Nishida Taisuke

ーー長崎県内でも無名だった森保監督をあえてマツダへ採ろうとしたのは、今西さんが、その視野の広さを認めたからだと言われていますが、その背景を改めて教えてもらえますか。

「森保を採るときに私は数回、高校(長崎日大)へ通いました。ハンス・オフト(当時のマツダ監督)を連れて行ったこともありましたが、そのときオフトは興味を示さなかった。ただ私は、技術もスピードも無かったけど、常に上を向いているという点が気になった。あの頃は芝生のグラウンドも少なかったから、コンディションが悪くて特に高校生はすぐに下を向いてしまうけれど、森保にはそれが無かったんですね。私は三列先を見ていると評価しました」

ーーそしてマツダに6人目として入社させたわけですが、彼だけが子会社だった。

「やっぱり新卒で入社した頃の価値観といったら給料ですよ。子会社だから同期に入った人間と多少とも給料が違うというのは、選手にとっては悔しかったはずです。しかし森保はそんなことでへこたれるとかそういうことは全くないですから。とにかくサッカーを続けられればいいという思いが最初にあった。そして森保は自分自身をよく分かっていたから。働きバチで、とにかく運動量でチームに貢献する。視野が広いから、ボールを取った瞬間にはどこにスペースが、というようなことを考えて、ダイレクトにそこに出せるようであれば出す。スペースがなかったらサイドに開いて、それでまたサポートして、次の展開の時にはもう大事な局面に顔を出す。チームの中で自分がどういうポジションでどういうやり方だったらレギュラーになれるか、本当にそのことばかり考えていました。そして、その年のヨーロッパ遠征に、オフトは1人だけ(新卒から)森保を選んだんです。で、私は会社に『これはもうレギュラーになったから、マツダ本社で引き取ってくれ』と」