2006年ドイツW杯、中村俊輔が明かす「俺が輝けなかった」理由

  • 佐藤 俊●取材・文 text by Sato Shun
  • photo by AP/AFLO

私が語る「日本サッカー、あの事件の真相」第6回
W杯で輝けなかった「エース」の本音~中村俊輔(1)

「俺は輝けなかったからね......」

 中村俊輔は、2006年ドイツW杯を振り返って、そう言った。

 ジーコ監督が率いた日本代表は当時、「史上最強チーム」と謳(うた)われた。2002年日韓共催W杯でベスト16に進出し、そのときの中心メンバーが軒並み残っており、そのときよりも各メンバーが経験を積み、選手としてさらに成長していたからだ。

 年齢的にも多くの選手が20代半ばから後半を迎え、円熟期にあった。世代別代表でも"世界"で結果を出してきたタレントぞろいのチームはポテンシャルが高く、大会直前の親善試合では、ドイツ相手に互角の勝負を演じた。メンバー構成だけでなく、そうした経緯からも、日本中のファン、そしてメディアはもちろん、選手自身も期待していたチームだった。

 中村はそのチームにあって、中田英寿とともにジーコ監督が信頼を置く絶対的な存在だった。

 しかし、W杯本番では"悪夢"のような試合が続いた。

 初戦のオーストラリア戦は、中村のゴールで先制。幸先のいいスタートを切ったかと思われたが、終盤、途中出場のティム・ケーヒルに同点ゴールを決められると失点を重ねて、1-3と逆転負けを喫した。

 続くクロアチア戦は決定的なチャンスがあったものの、それを生かせずにスコアレスドロー。最終戦のブラジル戦では、力の差を見せつけられて1-4で敗れた。前回大会以上の成績が期待された日本だったが、1分2敗でグループリーグ敗退に終わった。

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