2006年ドイツW杯、中村俊輔が明かす「俺が輝けなかった」理由 (5ページ目)

  • 佐藤 俊●取材・文 text by Sato Shun
  • photo by AP/AFLO

「これは、ジュビロ磐田に来たからこそ、わかったことなんだけど、磐田はクラブに透明性があるし、監督の名波(浩)さんをはじめ、スタッフ、選手、フロントがお互いに尊敬し合って、安心してサッカーに集中できる環境がある。だから、犠牲心が生まれるんだと思う。

 それは、2002年のチームにもあった。ゴンさん(中山雅史)、秋田(豊)さんを招集して(チームの)一体感を大事にして、みんな、勝利に向かって明るくサッカーをしていた。団結心があって戦っていたのは、テレビの映像からも感じられたし、俺も直前までいたチームだからこそ、よくわかった。

 そのチームに自分が参加できなかったことが、すごく残念だった。たとえサブでもあのチームにいれたら、大きな経験になったと思う。トルシエのチームは、犠牲心を持って日本のために戦える集団になっていた。

 でも、ドイツのときは、それが欠けていた。チームのためにじゃなくて、『自分が』になってしまった。それが、トルシエのチームや、南アフリカW杯のチームと異なる結果になった最大の要因だと思う」

 中村は冷静にそう語った。

 ブラジル戦が終わったあと、中田がピッチ上で倒れているなか、中村はあふれる涙を堪(こら)え切れずに泣いた。あの胸中は、いかばかりだったのか。

「自分に対する不甲斐なさ、それがすべて。日本を勝たすことができなかった。だから、もっとうまくなりたいと思った」

 その後、中田が現役引退を発表し、日本を支えた"大きな星"がひとつ欠けた。中村はそこから、3年半後のために、大きな決断をすることになる。

(つづく)

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