「ニシノー、全力で走ってみろ!」。秘話で明かす代表新監督の人物像

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki 藤田真郷●写真 photo by Fujita Masato

 代表監督といえばサッカー指導者の最高峰。事情はどうあれ、選ばれて嬉しくない話ではないと思う。しかし、会見場のひな壇に座る西野朗新監督は、渋めな表情を最後まで崩そうとしなかった。

4月12日、日本代表監督就任の記者会見に臨んだ西野朗氏4月12日、日本代表監督就任の記者会見に臨んだ西野朗氏 スラっとした長身。日本のサッカー界には珍しいイケメンだ。60歳を過ぎた平均的な人間は、あちこちくたびれ始めているものだ。だが日本代表新監督は、喋りこそ明快さを欠いたが、その渋めな表情は悪くなく、会見場は爽やかな空気に包まれた。

 出身高校は浦和西。当時、高校サッカーで浦和といえば「南」が定番の時代で、「西」は馴染みの薄い名前だった。しかし文武両道の校風という紹介を目にすると、そこでエースとして名を轟かせていた西野さんのカリスマ性は上昇。当時、すでにサッカー専門誌の表紙を飾るほどだった。それはハンサムなゲームメーカーだったことと大きな関係があった。

 大学は早稲田。4年生のときには日本代表にも選ばれたが、プレーもルックス同様、サラッとしていて、汗だくになって頑張る姿がこれほど似合わない選手も珍しかった。

 当時、関東大学リーグが行なわれていた西が丘競技場には、観客の中にひとり、面白いヤジを飛ばす名物おじさんがいて、閑散としたスタンドに乾いた笑いを誘っていた。西野選手はその格好の餌食になっていて、「ニシノー! 全力で走ってみろ!」とか、「守ってみろ!」とか、「お前は病人か!」などと、毎週、散々なことを言われていた。

 ダッシュする姿、いま風に言えばスプリントする姿をほとんど見ない、変わった選手だった。常にクールでマイペース。それでもサッカーは巧かった。「天才肌」という言い方は、このあたりから来ていた。

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