日本のサッカーは世界の目にどう映ったのか (3ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki
  • photo by JMPA

 しかしフッチボール・ボニートに関しては、元ブラジル代表のファンタジスタ、ジャウミーニャに訊ねたとき、こんな答えが返ってきたのを思い出す。

「ブラジル人は、美しいフッチボールをしようなんてまったく考えていないさ。そんなもの、負けてしまったら何の意味もない。ブラジル人は勝つために選択するのが、フッチボール・ボニートになっているに過ぎないのさ。俺の言っていることが分かるか? 結果として、美しいプレイをしている選手が勝利者になっているだけ。少なくとも、俺はそうやってボールを蹴ってきた」

 勝者を求めたからこそが美しいサッカーになった、ということか。

 勝つための法則は、一つではない。ブラジル人にはブラジル人の、ドイツ人にはドイツ人の、日本人には日本人の事情がある。自分たちのスタイルを掲げるのは悪くはない。だが、スタイルはこれだ、とトップが決めてしまうことはそれを庇護することで、そこには停滞が生まれる。スタイルを確立するには、せめぎ合いが必要なのだ。その中から、日本人は勝利するやり方を選択するべきなのだろう。

 元世界王者スペインでは、いまだに各地域に様々なプレイスタイルがある。そのぶつかり合いの中で、ポゼッションフットボールが主導権を得たが、それもスタイルとして確立した矢先、衰退していた。

 美しいフッチボール。それは主観的なものであって、一つではない。

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