青山敏弘、代表入り。「5番手」からの逆転劇はなぜ起きたのか (2ページ目)

  • 浅田真樹●文 text by Asada Masaki
  • 山添敏央●撮影 photo by Yamazoe Toshio

 その一方で青山は、東アジアカップのあとは昨年9月のグアテマラ戦(3-0)に途中出場したのみ。しかも、翌日には体調不良でチームを離脱。3日後に控えたガーナ(3-1)との親善試合を棒に振ると、その後はお呼びがかからず、代表争いからは脱落したかに見えた。

 しかし、東アジアカップ当時、青山はこうも話していた。

「まずはJリーグで結果を出す。目に見える結果を出していけば、またチャンスは来ると思うし、そういう意識を持っていれば、何かがちょっとずつ変わってくるんだろうなと思う」

 実際、青山は日本代表からは遠ざかっていたものの、その間にサンフレッチェ広島でJ1連覇を達成。青山自身も2年連続ベストイレブンに選出され、自らがJリーグを代表するボランチであることを証明してみせた。

 はたして青山は、誰もが認める広島での成果を引っ提げ、今年3月のニュージーランド戦(4-2)で約半年ぶりに代表復帰。それでも取材エリアで彼を囲む記者の数を見れば、青山が代表生き残りを有力視されていたとは言い難かった。

 何より青山本人が「客観的に見て自分は5番手」と語り、この試合で招集されていた遠藤、細貝、山口に、負傷で選ばれていなかった長谷部も加え、ボランチの代表候補選手の中では一番下の立場にいるという認識を持っていた。当時、青山はこう続けている。

「でも、(Jリーグの試合で)その5番手を見るために、監督が広島まで来てくれることには感謝しかないし、それに応えないといけない。自分はそういう(監督の)思いを勝手に感じているので(苦笑)。恩返しも含めて結果を出さないといけないし、去年(の最後の招集)から何カ月経っているのかわからないけど、この場で成長している部分を確認できればいい。失敗しても自分は5番手なんで、何も失うものなんてないから」

 だが、結果が出た今となっては、本人が考えている以上に指揮官の評価は高かったということだろう。

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