ラモス瑠偉「あのドーハのメンバーを忘れてほしくない」
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悲劇の舞台裏で起きた
知られざる「真実」――ラモス瑠偉編
1993年10月28日、アメリカW杯アジア最終予選の最終戦。日本はイラクにロスタイムに同点ゴールを決められて、本大会出場を逃すことになった。日本代表を牽引していたラモス瑠偉は当時、36歳。20年前の熱い日々を、今、あらためて振り返る。
最高のチームができたのは
オフトの力だった
オフトジャパンの攻撃の起点となったラモス瑠偉。攻撃のすべてが彼から始まるといっても過言ではなかった。アメリカW杯アジア最終予選、対戦相手はラモスを潰しにきた。執拗なマーク、悪質なファウルを受けながらも「日本をW杯に連れて行く」という強い気持ちで最後まで戦った。
「ドーハの悲劇」を振り返るラモス瑠偉氏。サッカーにかける情熱は今も変わらない――あなたにとって、オフトジャパンとは?
「オフトファミリーのメンバーとして、ドーハに行けたことに感謝しています。自分のサッカー人生の中でも、いろんな意味でプラスになった、素晴らしいチームでした。侍といったら、あのチームじゃないかな。その後、ずっと代表を見ているけど、どんな代表より、あのときは侍が揃っていましたね。技術よりも気持ち、代表の誇りを持っていた。だから国民が応援してくれた。それまで応援してくれた人たちに恩返しするためには、日本をW杯に連れて行くしかないと思っていた」
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