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敗因は吉田麻也ではない。日本の「要請」を果たせないザッケローニ (2ページ目)

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki
  • 佐野美樹●写真 photo by Sano Miki

 代表監督に限界を感じる瞬間は様々だが、コンディションの悪さと練習時間の短さを嘆いたときは、その最たるものになる。ホームにウルグアイを招いておいて、コンディションの悪さを口にする感覚が分からない。マナー違反。説得力ゼロだ。

 確かにミスは目立ったが、敗因をミス、すなわち選手個人の問題にするところに、何より狡(ずる)さを感じた。敗因は吉田と言わんばかりの会見だった。

 目を凝らすべきは、吉田のクリアが小さくなったその一つ前のプレイ。ペレイラのセンタリングだ。なぜ彼は、どフリーでボールを送り込むことができたのか。

 優秀な監督とは、ベンチにいても(ピッチの脇にいても)、スタンドの上階にいるような俯瞰(ふかん)の目で戦況を眺められる人物だと言われる。ウルグアイ代表、タバレス監督がそれを備えた人物であることは、試合直後の会見コメントを通して明らかになった。試合を終始俯瞰で見ていたこちらと、感想はほぼ同じだった。共有するモノが多い、違和感のない内容だった。

 一方、ザッケローニは違った。試合の分析はできていなかった。コンディション話に終始した。驚くほど身勝手な解釈を披露した。ご都合主義。説明というより、言い訳に聞こえた。いったいザッケローニは、イタリアから日本くんだりまで何を伝えにはるばるやって来たのか。その言葉にメッセージ性を垣間見ることはできない。

 メンバー交代も勝負にこだわりながら4人を代えたのみ。後半になると、次から次へと交代カードを切り、計6人を投入したタバレス監督とは違った。ザッケローニはこの試合を「2点差で負ける試合内容ではなかった」と、2点差を強調したが、ウルグアイは後半、流しながらゲームを戦っていた。半分ホームの日本に情けを与えながら。もし中立地帯で、この試合を欠場したカバーニを加えたウルグアイとガチンコで戦ったら、4点差は優に開きそうな気がした。日本は世界に近づけずにいる。強豪との差は詰まっていない。

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