【日本代表】齋藤学(横浜F・マリノス)「実力が伴えばブラジルは見える」 (3ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki
  • 藤田真郷●写真 photo by Fujita Masato

「年ごとに、自分の特長は変わってきていると思います。小学生の時、自分のプレイの特長を書くように言われ、言葉の意味はあまり分からないのに、オフザボールと書きました。裏に出るプレイが得意だったから。中3の時はドリブルですね。足の速さだけで抜ける感じでした。でも、チーム内で自分より速い選手がいると悔しくて言い訳して(笑)、どうしたら勝てるか考えていました。ちょっとずつ、成長してきたのかもしれません」

 F・マリノスでプロ選手になることを夢見ての日々だったが、中1の時に見た光景は今も忘れられない。

 2003年11月29日、F・マリノスは鹿島アントラーズ、ジュビロ磐田、ジェフユナイテッド市原と熾烈な優勝争いを演じ、最終節を迎えていた。マリノスは横浜国際競技場で磐田と対戦し、勝たなければ優勝はない。しかも「首位の鹿島が引き分け以下」というのが優勝の条件だった。

 土砂降りの雨の中、F・マリノスは磐田のFWグラウに先制点を許してしまう。さらにGKが退場して10人の戦いを強いられ、土俵際に追い込まれた。後半始まってすぐにマルキーニョスの得点で同点にしたものの、刻々と時間は過ぎロスタイムに入っていた。その直前に、鹿島がリードしているという情報も伝わり、もはや絶望的状況だった。

「僕はボールボーイでマリノスの試合を見ていました」と齋藤は振り返る。

「ハーフタイムのときは、優勝は難しいだろうなって思っていました。同点に追いついたとしても、鹿島の状況を考えると……。でも、ロスタイムに久保さんがヘディングで押し込んで逆転。その直後に大型画面で鹿島のGKが頭を抱える映像が流れたんです。それでコーチの人に、『優勝台を出す用意をするぞ』って怒られて。優勝をしたら、ボールボーイが台を出すことになっていたんですが、完全に忘れていました。

 強いマリノス、優勝するマリノスを見られたのは、本当に良かったです。諦めずに戦うことで、こんな感動が得られるんだって。その感覚は今も心に残っていますね。だから、マリノスのサポーターや下部組織の選手たちにもそういうトップチームの姿を自分が見せたい、と思っています。次は自分の番だって」

 全身が震えるような光景が、その後の彼を支えてきた。優れたアスリートは知られざる小さな挫折と成長の物語を繰り返すが、道の途中で立ち止まってはならない。そこで諦めず、行きつ戻りつしながら、行き着くべき境地を探す。それは見つかったと思ったら失っている儚(はかな)いものだが、そこからさらなる境地に行き着こうとする者だけが、真の競技者として人々の記憶に残る。

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