2012.09.22

【なでしこ】
川澄奈穂美の思い――澤さんにもあやにもなれないから

  • 早草紀子●取材・文 text by Hayakusa Noriko photo by Enrico Calderoni/AFLO SPORT

代表に定着した川澄は、INAC神戸でもチームメイトの田中明日菜や若手ともコミュニケーションをとり、なでしこジャパンでの存在感十分
 なでしこジャパンにおいては、選手それぞれに役割があり、そのほとんどが誰かに言われたからその役割にたずさわるわけではない。キャプテンに任せて、それにただ従っているだけだとしたら、ロンドン五輪で、なでしこジャパンは戦える集団にはなりえかっただろう。

 なでしこジャパンの一員としての実感がつかめるか否かは、ひょっとしたらこの、自分の役割を理解する部分の方が大きいのかもしれない。自分がチームにとってどんな存在なのか、チームにどう貢献できるのか、それを実感できる選手は少ない。

 川澄奈穂美も自分のプレイで精一杯という”にわかなでしこ”の時代が約3年間あった。川澄が真の意味で”なでしこジャパン”のメンバーになり始めたのは、W杯ドイツ大会が終わった後、ロンドンへ向けてのチームづくりが始まった頃だった。

 だが、実際には北京五輪の約1年前にも、チャンスはあった。しかし何の因果か、なでしこジャパンへ練習生としての帯同を打診された日に、川澄は前十字靭帯断裂という大ケガを負ってしまい、北京五輪出場の夢は断たれた。

 その後、なでしこチャレンジメンバーとしての猛アピールを経て、晴れてなでしこジャパンに定着するようになった川澄。だが、”なでしこジャパン”の一員であると胸を張れるようになるまでには苦しい年月があった。

 川澄は2011年のW杯ドイツ大会での活躍で注目されるようになったものの、まだ中心選手という域にまでは達していなかった。すでにスタメンとして欠くことのできない人材へと成長していた岩清水梓や近賀ゆかりとは、大学時代にユニバーシアード代表として共に戦った旧知の間柄。このときふたりが背負っていたプレッシャーに比べれば、川澄はまだまだ「ひよっこ」だった。それでも、焦りを持たないのが川澄。