【プロ野球】「監督が褒めてたぜ」は、近藤貞雄が記者に頼んだ仕掛け テスト入団の守備職人を覚醒させた"人心掌握術" (4ページ目)
【近藤流の選手操縦術】
翌1990年、守備固め要員だった嶋田は打撃面でも成長を見せた。主力選手の故障離脱をきっかけにつかんだチャンスをものにし、4月末からはスタメン出場が中心となった。
さらに、オールスターのファン投票候補となり、公式投票用紙に初めてその名が載った。テスト入団から12年目で、ようやくそこまで上り詰めた。
「感激でした。ラッキーな面もありましたけど、すべて近藤さんが使ってくれたおかげです。それに、担当記者の方から、『監督、褒めてたぜ。嶋田の守備はパ・リーグで5本の指に入るって。カコミ(囲み取材)じゃなくて、オフレコの時に言ってたから、うれしくて伝えたくてさ』って言われたんです。それを胸に試合に臨むと、不思議とうまくいくわけですよ。ただ、じつはこれも、近藤さん流の人の動かし方だったんです」
自己最多の113試合に出場し、センターのレギュラーをつかんだ1990年のオフ。嶋田は納会の取材に訪れた担当記者に、近藤の言葉を伝えてくれたことへの礼を述べた。すると記者は、「あれは監督からね、『オレがそういうふうにボソッと言ってたって、嶋田に伝えてくれ』って頼まれたんだよ」と答えた。
「あっ、何? そういう操縦の仕方をするんだ......って。第三者話法ですよね。うまく嘘をついて、選手の気持ちを乗せる。そうかと思えば、僕が3安打した試合のあと、ホテルの食事会場で『おう、ノブ。そろそろ3番打つか?』って。僕が『もう5、6試合待ってください』って冗談で返したら、爆笑していました。ベンチでも、中日時代から一緒だった大島(康徳)さんと冗談を言い合って、よく笑っていましたよ」
【今も忘れない近藤貞雄との3年間】
その年も打線は相変わらず得点力不足に苦しんだが、投手陣は西崎、柴田保光、酒井光次郎に、復調した松浦を加えた先発4人が揃って2ケタ勝利。リリーフでは武田一浩が抑えを務め、10勝13セーブを挙げた。
西武が独走で優勝するなか、日本ハムは9月に一時2位まで浮上したが、最終的には貯金3の4位でシーズンを終えた。
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